ベートーヴェンについて少し思うところを書こうと思います。CDの感想が読みたい方は、ここを読み飛ばして、各曲へのリンクが下にありますから、そのリンク先に聴いたCDの感想を書き留めていますから、そちらに移動してください。
ベートーヴェンというと、クラシックを聴く人でさえ少し小ばかにする人がいる。昔、学生時代に当然、就職活動をやった。そこで、娯楽というか、趣味を聴かれる。そこで、音楽鑑賞も上げる。すると、音楽鑑賞は皆が履歴書に書くので、またかといった感じで、面接官は”履歴書に書いてあるので一応聞きますけど、音楽鑑賞は何を聴くんですか?”と聞いてくる。で、私は”クラシックです。”と答える。もちろん、クラシック以外も聴いていた。いや、学生時代の頃はクラシックよりハードロックを聴いていることの方が多かった。しかし、クラシックは小6から聴いているので、クラシックを聴いていると答えていた。すると、面接官は”誰が好きですか?”と聞いてくる。絶対、”誰が好きですか?”と聞いてくる。こちらは、作曲家のことか指揮者や演奏者のことかハッキリしないが、普通、作曲家のことだろうと思い、”一番好きな作曲家はベートーヴェンです”と答える。すると、”ふふん”と小ばかにした目つきで私を見てくる。その後に”クラシック音楽は色々な演奏を聴いて楽しむものなんですよ”と言ってくるのだ。要するに、誰が好きか?と聞かれたとき、作曲家の名前ではなく、指揮者やピアニストやヴァイオリニストの名前を挙げなければいけないようなのだ。私からすると、お前こそ全く知らないくせに、勝手にクラシックファンかどうかを決めつけるな。判断が早すぎるぞと思っていた。私が面接官なら、なぜベートーヴェンが好きなのですか?ぐらいのことは質問する。ハッキリ言ってしまうと、今の時代は知らないが、私が学生時代の頃の面接官は、学生の中身を知ろうという輩はほんといなかったと感じる。クラシック音楽のことを知らなくても、クラシックの話題で話せばいい。話しているうちにどれほど好きか詳しいか何が好きか分かってくる。すると、その人の人物像が見えてくるのだ。こんなのは常識である。それとも別の方法で学生を見ていたのかな?それにしてもお粗末だったと思う。
ベートーヴェンの話。私はベートーヴェンの何が好きかというと、スーパーポジティブなところが好きなのだ。ベートーヴェンの曲は聴いているとやる気が満ちてくる。そんな曲はなかなかない。ベートーヴェン自身が恐ろしくポジティブだったからこそ、そのような曲が書けたのだと思う。難聴がかなり進行して耳が聞こえなくなったとき、ベートーヴェンは、”ハイリゲンシュタットの遺書”というものを書いた。そう、絶望して遺書を書いたのだ。だが、精神分析のプロは言う、”ハイリゲンシュタットの遺書”を読む限り、それは遺書ではなく決意表明になっていると。絶望しても必ず屈することなく立ち上がるのがベートーヴェンなのだ。曲もそうである。ベートーヴェンの曲は歳を重ねるごとに他の作曲家とは比較にならないほど、凄さが増していく。普通の作曲家の成長が年齢に比例するというのなら、ベートーヴェンの場合、年齢に対して階乗で上昇しているのだ。ホントに凄い曲をあらゆる分野にたくさん残している。
後の作曲家はベートーヴェンの曲をどうしても意識しなくはならなくなったほど。もちろん、ほとんどの作曲家がベートーヴェンのファンだった。で、後の作曲家はベートーヴェンのようになろうとする。要するに同じような曲ではなく、階乗で成長したように思える曲を書こうとする。そこで、皆苦しんだのだ。そう簡単に凄い曲が書けるわけがないのだから。だが、後の作曲家で名を残した作曲家は素晴らしい曲を書いている。曲数は少ないが、ベートーヴェンの意思を継いでいることは明白。もちろん、楽想は違う。
私は諦めが悪くなった。そう、諦めてはダメだと凄い教わってきた。子供の頃から。”諦めない”=”屈服しない”と私は思っている。ベートーヴェンもそう。そんなベートーヴェンを尊敬しているし、ベートーヴェンの曲が大好きなのだ。