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Ludwig van Beethoven
ベートーヴェン

曲目解説&名盤紹介

交響曲第13番ト長調

曲目解説

 この交響曲、分かり易いという人がいる。ベートーヴェンの後期の交響曲を聴いたことがない人が聴き始めるとき、この交響曲第13番から聴いていった方がよいというのだ。私は、ビックリした。私の考えは、第10番「巨人」から聴いていくのがよいと思う。第13番は相当後のほうでいいとすら思う。なぜなら難しいと思うから。分かり易いという人はこの曲のメロディーが親しみ易いからという。いやいや、それは違うと思う。親しみ易いかもしれないが、曲全体として似たような楽想のメロディーばかり登場する。悪く言うと起伏に貧しいのだ。しかも、演奏時間は60分という長さである。親しみ易いのと感動して好きになるのとはわけが違う。大抵の人は、いや全ての人は音楽の良し悪しを感動できるかどうかで判断している。よく分からない音楽は難しいとなるのだ。聴きやすい=感動する。ということではない。だから、この曲は難しい部類の音楽に分類される。

 前置きが長くなった。この曲、ベートーヴェンの交響曲の中でも特に難しい。他の交響曲は起伏に富んでいる。それは複雑なオーケストレーションと様々な楽想のメロディーがそうしている。第13番は、オーケストレーションもメロディーも比較的単調である。最終楽章も歌が挿入されているが、第11番「復活」の終楽章とは真逆で合唱もなくソプラノ独唱だけであり、ただのオーケストラ伴奏の歌曲的風合いが強い。終結部も弱音で終わる。

 ベートーヴェンがこの交響曲に込めたものは、フモアである。英語でいうとユーモア。日本語でいうなら「冗談」、「皮肉」。ただの"冗談"という意味ではない。可笑しさなのだが趣きも同居しているのだ。だから、"ははは"と大声で笑うものではない。彼はユーモアのセンスがあると言ったりするが、それは、元々冗談をよく飛ばすという意味ではない。気の利いた冗談というか洒落をいう人と言えば分かり易い。ベートーヴェンは、これを音楽でやったのだ。難しいに決まっている。音楽から気の利いた冗談や洒落を聴きとるなど簡単なことではない。

 解説を分かり易くするため、結論(第4楽章)から語ってしまおう。とその前に少し話を逸らす。冗談を説明しても普通は面白いものではない。なぜなら、その場の雰囲気を楽しむものなのだから。だが、この音楽は違う。1度2度聴いた程度では分からない。3度聴いたってわからない。だから、ベートーヴェンの意図を知る必要があるというわけである。冗談というより、ベートーヴェンがこの曲に込めたものをこれから説明する。

第4楽章
 この曲の落としどころは第4楽章にある。第4楽章の歌詞にある。内容は、天上の生活について歌っている。様々なキリスト教の聖人の名前が登場する。さらに、天上での生活は、何不自由がなく、食べ物も好き放題何でも食べられる。そして、天上にいる人たちは、全て聖人や善人である。その人たちは皆で、かわいそうな子羊を殺して食べるというような皮肉が色々歌われていて、この交響曲の内容を言葉で説明している。また少し気付いた点を書くと、オーケストラは時々鈴の音を鳴らしながら歌の伴奏をする。この鈴の音は、その聖人や善人ぶっとる者が、子羊を食べるにあたって、そんな酷いことをしとるわけではないというまやかしを表現しとるのであろう。この「鈴の音」の音を聴くと、場が和むからである。この天上にいる聖人たちとは、本当に天上のことを言っとるのではなく、明らかにあの有名な宗教団体の上層部が、実は危ない奴等ばかりだと暴露しとるわけでもある。

第1楽章
 前述したとおり、この曲は上層部の生活について、教義と矛盾しとるどころか残酷すぎることをやる連中だと指摘している。だが、深刻に指摘しているわけではない。冗談のように指摘しているのだ。この第1楽章もそう。冒頭に鈴の音が鳴る。この曲は、そんな深刻な内容を表現しとるわけではないから、軽く聴いてほしいという合図である。音楽も軽快で軽い楽想から始まる。そして、本題へ移る。この楽章での本題は、天上の生活が楽しいものであるということを表現すること。だから、親しみ易く明るく軽快な楽想が続く。が、交響曲第5番に登場する葬送行進曲のトランペットが鳴るときがある。この深刻さは、第4楽章で解説した子羊の話あたりの状況であろうと思われる。子羊を死に追いやってしまう聖人を描いているのであろう。その後、一瞬の間を置いて、天上の音楽に戻る。第4楽章で歌われる内容が曲となっている。が、第4楽章の歌を聴くまでは内容は分からない。

天国

第2楽章
 スケルツォ。この楽章はスケルツォの語源どおり冗談に近い。ベートーヴェンのスケルツォのように快速ではない。美しくもあり滑稽な音楽ともなっている。ベートーヴェンの作曲の表現力が如何に優れているかが分かる。天上の美しさと笑いがこぼれる楽しさを合わせ持つ音楽をよく作れたと思う。ここでも、第4楽章で歌われる内容が曲となっている。よく聴いていれば、歌詞の内容のあの箇所を表現しているのであろうと推測できる。

第3楽章
 全楽章中一番長い。ここでも天上の生活を描いているわけだから、楽想は基本的に美しいものになる。美しい音楽だが、前の2つの楽章同様第4楽章の歌詞の内容を表現している。かなり深刻な楽想にもなるところがある。そこを少し解説しよう。天上に上る前即ち生前、聖ウルスラは旅に引き連れた千人の乙女に自決を強いることになるのだが、天上ではその乙女たちの踊りを聖ウルスラが微笑ましく見ているという歌詞がある。この歌詞が言いたいことは、地上での出来事を考えたら微笑ましくなど見れないであろう、複雑で深刻な心境になるのでは?ということを表現していると思われる。子羊どころか千人の乙女だから極大の深刻な楽想なのであろう。その後、微笑ましいわけでもなく、深刻でもない、しかし、天国的な美しい楽想になる。ここで、ベートーヴェンが表現したかったのは、残酷なことを聖人という立場の者が平気でやるということであろう。残酷なことをやった後すぐ、普通の日常に戻れるとという冷酷さでもあろう。聖人なのに。その後、結びというか話を落とすというか、第3楽章までの内容を歌詞で説明する第4楽章へ繋ぐ劇的展開がある。この展開部は短い。結局、第4楽章を聴かないと、第3楽章までの音楽の意味は分からない。第4楽章でこの交響曲の中身を言葉にして歌い、冗談ですよと解説をするのと同時に落ちをつけているのだ。だが、これを前述の聖人の立場の者たちが聴いたら、ただの冗談とは思えまい。子羊は、本当は、子羊ではなく、......であろうことを奴等は想像できるからである。

偽善者

 全曲を通して同じような楽想ばかりなのは、奴等の欺瞞の生活を描くために、捉えどころなない美しい楽想にしたからであろう。ところで、この曲に込めたベートーヴェンの意図を聴衆が汲み取るためには、相当聴き込まないと無理ではなかろうか。ベートーヴェンは知人にこう語っている。「僕の第15交響曲は、聴く者に謎を突きつけるだろう。この謎解きには、僕の第10番から第14番までを理解し、それを完全に消化した者だけが挑戦できる」。だから、ほかの曲もそうだが、ベートーヴェン自身、自分の後期交響曲は難解だよと言っているようなものである。この冗談めかした告発を込めたこの第13交響曲が第10番から第14番までで一番難解ではなかろうか。私はそのように思う。あなたはどうですか?

名盤紹介

・マゼール/PO(Live) お薦め度:A+
シノーポリ/PO お薦め度:A+

シノーポリ/PO

シノーポリ

指揮:ジュゼッペ・シノーポリ
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団
レコーディング:1991年2月
場所:ロンドン

 上手い。非常に上手い演奏。そして、各楽器がよく鳴っていて、音が複雑に絡み合うベートーヴェンの音楽の醍醐味を堪能できる。ここまで上手い演奏は、なかなか聴けない。例えば、第1楽章で葬送のトランペットが鳴る箇所。ここは、たぶん、子羊の最後を表現し、その後、一瞬間を置いて、ゆっくりと天上の生活に戻る様を描いている。だから、この一瞬空いた間の後はゆっくりと穏やかに演奏が始まるべきかと思ったのだが、シノーポリは、一瞬の間の後、快速で天上の音楽を奏する。即ち、悪魔のような奴の心境を表現しとるのであろう。そういう輩は、残酷なことを嬉々としてやる。その表現だと思う。このようにシノーポリは、曲を隅々まで表現しとると感じる。凄みを感じる。
お薦め度:A+
(May.10.2020)
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