ADAGIO MISTERIOSO

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LUDWIG VAN BEETHOVEN
ベートーヴェン

曲目解説&名盤紹介

弦楽四重奏曲第13番変ロ長調&大フーガ

曲目解説

 全6楽章。この曲は、第15番の次に作曲された。15番では病が癒えたことにより、神への感謝の念を曲にしたが、この曲ではそのような楽章はない。代わりに病後のベートーヴェンの弾むような心境が感じ取れ、各楽章で舞曲風など、いつもの快活なベートーヴェンの旋律が聴ける楽章が多い曲となっている。

第1楽章
 穏やかで落ち着いた序奏で始まる。これは、病後の穏やかな気持ちの表れと捉えることが可能である。その序奏に代わって、ベートーヴェンの快活な思いが待ちきれないとばかりに所々明るい楽想として顔を覗かせる。そして、曲は段々活発になっていく。
 ベートーヴェン中期の頃の曲で序奏が付いている場合は、本編に突入する際に序奏と本編にギャップを持たせ、本編をより強調するものが多かった。ところが、この曲での序奏は違う。意味がある。この序奏の主題は、前述のとおりベートーヴェンの病後の穏やかな気持ちで、まだ快活に動けない心境を表している。この主題が、第1楽章の中で所々登場する。これは、なかなか快活に動けないもどかしさを表現しているのではなかろうか。快癒後のベートーヴェンが医師に「無理をしなように」とか、「安静にしているように」とかいう指示を受けていたことが楽想に表出しているようである。
 この楽章は比較的分かり易く感じるが、ベートーヴェンが高度な手法を取っている為、難解になっている。まとめると、辛かった病の後で、大事を取って無理せず落ち着いて行動しなければならないという気持ちと活発に行動したい気持ちが揺れ動いているようである。

第2楽章
 ベートーヴェンの指示はプレスト。非常に速く演奏するように指示している。スケルツォのように強烈だが、一方で儚い印象も受ける。不思議な感覚である。快活な気持ちと不安な気持ちが同居しているかのような印象。やはり、第1楽章で表現したもどかしさが一層強調されていると感じる。もう、動きたくてたまらなかったのではなかろうか。
 演奏時間は短いが、聴きやすく人気もある楽章だと思う。私は大好きである。

第3楽章
 ベートーヴェンの明るく弾むような心境が聴きとれる。医師から活動してもOKという指示をもらってウキウキしはじめたベートーヴェンが思い浮かぶ。また、病後に気持ちよく散歩でもしているベートーヴェンも連想できる。ウキウキ感たっぷり。聴く人の心も弾むであろう。この曲を聴きながら散歩や散策をしたら最高かもしれない。などと書くとベートーヴェンに「座って聴け!」と言われるかもしれないが。いや、自由な発想のベートーヴェンならば、それもいいと思うであろう。



第4楽章
 「ドイツ舞曲風」と題されているとおり、快癒後に楽しく気持ちよく踊っているベートーヴェンの姿が思い浮かぶ。ベートーヴェンほど聴く人の心を自分の世界へ誘う作曲家はいまい。

第5楽章
 カヴァティーナ。穏やかで清々しいが、後期のベートーヴェンの曲らしく深く難解である。この曲からは、ベートーヴェンが、しみじみと快癒の実感を瞑想でもして噛み締めている様を連想できる。

第6楽章
 当初、大フーガがこの曲の最終楽章に配置されていた。ところが、大フーガがあまりにも難解で差し替えて欲しいという周囲の意見を取り入れ、ベートーヴェンは別の曲を作曲し、差し替えた。確かにこの曲は分かり易く、なんとも言えぬほど聴く人の心を上へ上へと上昇させてくれ、最高に気分がよくなる。東西冷戦の時代、ソビエト連邦の書記長だったか誰だったか忘れてしまったが、偉い人が「音楽は麻薬である」と言った。当時、私もなんとなく分かる気がしたが、この楽章を聴くとその言葉を思い出す。気分がウキウキするし何度も聴きたくなる曲である。



 この弦楽四重奏曲第13番は、作曲時のベートーヴェンの体の具合と大きく関係していると思われる。第1楽章では、病が癒えたとは言え、まだまだ不安な要素を抱えている感覚が聴き取れるが、楽章が進むにつれ、その不安な要素が段々消滅していく。最終楽章では、完全に元気を取り戻し気分が高揚しているベートーヴェンを感じ取れる。

大フーガ
 大フーガは、弦楽四重奏曲第13番の最終楽章とされていたが、初演後に難解すぎて理解されず他の曲に差し替えた方がよいとの指摘を受け、ベートーヴェンは作曲し直し現在の第6楽章の曲に差し替えられた。この大フーガを理解できる聴衆が現れたのは現代に入ってからではなかろうか。それほど先鋭的で難しい。フーガなのだが、弦楽四重奏曲第9番の第4楽章のフーガとは比較にならないほど難しい。9番の方はバッハのフーガを踏襲していて圧倒されるが、大フーガは耳を覆いたくなるようなフーガである。不協和音とまではいかないまでもそれに近い。なぜ、このような難解な曲をこの第13番の終楽章にしたのであろうか?それは、新しい曲に常に挑戦し続けるベートーヴェンの本領発揮でもあろう。他の楽章でも十分先鋭的ではあるが、この大フーガは病が癒えてさらに気合を入れて作曲された曲なのではなかろうか。気持ちが充実したからこそ書ける曲だと思う。いわゆる現代音楽にも影響を与えているほど時代を超越している。

 まず、曲の流れについて解説し、その意味を後述する。前半5、6分の強烈な不協和音のようなフーガの後、大人しく軽快に弾むような旋律が奏される。この弾むような旋律は不協和の主題である。即ち不協和の主題が協和の主題に変貌する。その後、再び不協和音の主題が復活する。が、再びその主題が親しみ易い協和の主題に変貌する。しかし、また不協和音の主題が登場。で、また親しみ易い協和の主題に変わる。最後は、親しみ易い協和の主題で曲を閉じる。ここでは、不協和と協和を繰り返すことをやっている。しかし、ただ真逆の楽想の主題を交互に繰り返すのではなく、不協和の主題を協調した主題に変貌させることを繰り返しやっている。複雑に。分かり易く言うと、同じ主題を不協和にしたり協和にしたりしている。

 これが意味するもの。それは、間違いなくベートーヴェンの辛かった難病との闘いであろう。不協和音の主題は病魔であり、この病魔を抑え込んでいく過程がこの曲に投影されていると思う。最後はキツイ病魔に打ち勝つという内容。

 もう少し詳しく書くと、弦楽四重奏曲第13番への当初の思いは、第4楽章までで、快癒間近における気持ちの上昇の過程を描き、第5楽章では、病魔が消え失せたときの実感を表現、そして、最後の第6楽章大フーガで病魔との闘いを回想する。これが、ベートーヴェンの思惑ではなかったか。ところが、この思惑では、病魔の主題が聴く者に相当の苦しみを与えるため、回想録である大フーガを取りやめ、治癒後の幸福感を表現したものに差し替えたのだと思う。



 思うのだが、頑ななベートーヴェンが他人から言われて楽章を差し替えることなどまずないのではなかろうか。たぶん、不況を買うことは承知していたであろう。なぜなら、大フーガの主題は厳しい病魔そのものを描いているのだから。聴く者が苦しむのは分かっていたと思う。それで、やっぱり、聴いた者が苦しみ、曲を差し替えて欲しいとすら懇願したのだから、ベートーヴェンとしては、大成功の曲だと思ったのではあるまいか。「だから、それぐらい辛いものだったのだよ」と言いたかったのではあるまいか。

 さあ、ここで問題が登場する。この弦楽四重奏曲第13番を演奏するとき、と言うか、聴くとき、差し替えた曲を聴き、大フーガは別に聴くのが正解なのか?それとも大フーガを正規の弦楽四重奏曲第13番として聴き、差し替えた第6楽章を別に聴くべきか?これは、難しい。私は大フーガを正規として聴いて、そのすぐ後に続けて治癒後の幸福感を表現した第6楽章を第7楽章として聴く。これが正解だと思う。だが、ベートーヴェンが味わった苦しみを我々もわざわざ味わう必要もない。と思うのなら大フーガは別物として、聴きたいと思ったとき聴けばよいと思う。改めて思う。ベートーヴェンは凄いと。でも、お茶目なところもあるのかもしれない。ひょっとすると、俺の苦しみを味わえ!と思って作曲したのかもしれない。もしそうでなければ、こういう思惑で作曲したと聴衆に教えてくれていてもいいはず。そうすれば、聴衆もさほど苦しまずに冷静に聴けたと思うし、凄いと感服したであろう。

名盤紹介

・ズスケQ お薦め度:A+
エマーソンSQ お薦め度:S+
ゲヴァントハウスQ お薦め度:A+

エマーソンSQ

エマーソン

演奏:エマーソン弦楽四重奏団
レコーディング:1994年4,6月
場所:ニューヨーク、アメリカ文芸アカデミー

この演奏では、曲順は、第1楽章、第2楽章、第3楽章、第4楽章、第5楽章、大フーガ、第6楽章となっている。

第1楽章冒頭、不穏な空気即ち病魔に対するベートーヴェンの不安な気持ちで始まるが、持ち前のポジティブさがすぐ出てくる。非常に快活。だが、品のある快活さ。エマーソンSQが演奏すると、品が同居する快活さになり聴いていて気持ちがよい。

第2楽章。プレスト。エマーソンが演奏すると、スケルツォより快活。第1楽章、第3楽章に挟まれて対比が大きく、曲全体に抑揚の富んだ風合いが醸し出される。エマーソンの計算づくの解釈であろう。 第3楽章は、ベートーヴェンが病後に健やかな気持ちで散歩しているかのような曲で、この演奏は、健やかで清々しく気持ちが良い。

第4楽章は、ドイツ舞曲風の曲。エマーソンの抑揚に富んだ解釈が舞曲のリズムに花を添える。

第5楽章。カヴァティーナ。この楽章は前の4つの楽章と比較すると、各段に難解である。この演奏は、難解というイメージを払拭してくれ、落ち着いた温もりのある幸福感を感じ取れる。深い演奏である。

大フーガ。強烈なフーガは病魔のことだと私は思っていて、そのフーガは聴く者に苦しみを与える。それほどベートーヴェンの苦しみが大きかったということであろう。だが、この曲の演奏は、たいへん難しい。苦しみばかり聴く者に与えてはとても芸術とは言えない。この演奏の凄さは、強烈なフーガで苦しみを表現しつつ音楽として成立しているところ。もちろん、初めてこの曲を聴く人にとっては苦痛になるでろうが、この曲を知っている人であれば理解できると思う。そもそもこの曲がどういう曲かということは、上述の解説を読んで欲しい。

第6楽章。この演奏を聴いていると、この曲順が正しいということがよく分かる。前楽章の大フーガでは病魔をやっつけるのだが、この最終楽章の演奏からは快癒後の清々しいような、心が浮き立つような、躍動するような感情が晩年のベートーヴェンが備えていたであろう品を伴って聴きとれる。



全曲通して、細部まで余すところなくエマーソン独特の抑揚が付けられたことで、殊更表情が豊かになっている。決して妥協を許さないスピリットと極めて高い芸術性を感じる。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、エマーソンSQの登場以前と以降で演奏スタイルが大きく違う。エマーソンSQが与えた影響は計り知れない。全く別物のように聴こえるのだから。これはイノベーションとも言える。
お薦め度:S+
(May/8/2020)
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ゲヴァントハウスQ



演奏:ゲヴァントハウス四重奏団
レコーディング:1997年11月
場所:ベルリン-ヴァンゼー、聖アンドリュー教会

 非常に聴きやすい。解釈がオーソドックスではあるが、決して暗くない。明るく鮮明な解釈である。いや、古さの中に新しさがある温故知新である。解説でも書いたのだが、病魔から解放されていくベートーヴェンの様々な気持ちがよく聴きとれる。第2楽章で躍動するときも明るく弾んでいる。しかも上品。そう、この演奏、極めて上品で丁寧に演奏されていてベートーヴェンへのリスペクトをも感じ、とても好感が持てる。合奏能力も当然のことながら抜群である。実に上手く巧い。また、チェロの響きが全編に亘って心地よく響いてくる。第5楽章カヴァティーナの合奏の響きが気持ちよく心がフワフワしてるよう。

ゲヴァントハウス四重奏団

 そして、何と言っても大フーガ。上手い!ベートーヴェンに憑りついた病魔を抑え込んでいった時を回想している曲だと解説でも書いたが、この演奏は病魔を抑え込んでいくときのベートーヴェンの気持ちを巧く芸術として聴かせてくれる。病魔が不協和音のフーガなのだが、そのフーガが段々協調されたフーガに変貌していく。要するに病魔を抑え込み体に元気を取り戻していく様を描いているのだが、ここが気持ちよい。幾度も病魔の主題が奏され、最後にも登場するが、その病魔の主題が楽し気な主題に変貌する。ゲヴァントハウスのここの巧さに脱帽である。実に自然に明るく表現する。だから、ベートーヴェンが最後病魔を抑え込むとき、余裕で病魔に対処したかのように感じる。見方によってはベートーヴェンの迫力すら感じる。今年はベートーヴェン生誕250年。盛大に楽しもうではないか!
お薦め度:A+
(May/5/2020)
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