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LUDWIG VAN BEETHOVEN
ベートーヴェン

曲目解説&名盤紹介

交響曲第3番変ホ長調「英雄」

曲目解説

 フランス革命。この革命は、ヨーロッパ全土の絶対王政を敷く国に凄まじい恐怖心を与えた。このとき、ヨーロッパの国は絶対王政が多く、圧制を敷いていた。特にドイツは、大小様々な国に分かれていた。農民は農奴と言われるほど酷い扱いを受けていた。一つ例を挙げると、結婚税などというものがあり、結婚する際、新婦は結婚前に領主と一夜を共にしなくてはならなかった。あまりにも酷すぎるもので、税とは言えない。ドイツの全ての領主がやっていたのかは知らないが、絶対王政の範疇すら超えている。このような輩は、革命が怖かったのであろう。このときイギリスは、立憲君主制を採用しており、絶対王政を倒したフランス革命を好意的に見ていた。イギリスと同じ立憲君主制になると判断していたのであろう。革命側を支援したという話もある。そして、フランス革命後の混乱を収拾したのが、ご存知のとおりナポレオン・ボナパルトである。

ナポレオン

 軍事の天才、ナポレオンは、ヨーロッパを席捲した。当然、すぐそばの隣国、ドイツの国々もただでは済まない。ドイツの一番大きい国家プロイセンは、対抗し、戦ったが、ナポレオン軍の前に大敗北を喫した。その後、ナポレオン軍は、これまたご存知のとおりロシアのモスクワまで遠征している。時代を考えると、大遠征である。しかも、ロシアに到達するためには、多くの国を撃破しなくてはならず、ナポレオンの軍事的手腕が如何に凄かったのかが窺い知れる。だが、このナポレオン軍に対抗し、いなし続け、最後は勝利した人もいる。フランスの隣国イギリスのネルソン提督である。少し話を逸らさせていただきたい。このイギリスという国。凄すぎる歴史を持っている。世界中の人がご存知のとおり、世界帝国を築いた国。何が凄いかというと、負けない国なのだ。歴史上、世界帝国というのは、負けて占領下に置かれる、もしくは消滅の憂き目あっているのである。だが、イギリスは必ず勝利している。アメリカもそう。この理由は色々ある。理由は置いといて、この凄さを考えると、なんとも言えぬ気持ちになる。感嘆というかなんというか、、、因みに世界中にアメリカ人、イギリス人は大勢いる。日本にも大勢いる。案外、あの人アメリカ人だったの?と思う人がかなりいる。嘘ではない。

 話を元に戻そう。フランスの隣国、オーストリアもドイツ人の国である。そこにベートーヴェンはいた。そう、ベートーヴェンはフランス革命が起きた激動の時代に生きていたのである。今の時代も激動ではあるけど。それは置いといて。フランス革命もナポレオンのことも当然、耳に入る。ベートーヴェンは、絶対王政を当然嫌っていたし、共和制を望んでいたであろう。だが、この時代に生きていたドイツ人は共和制が実現するなどとは思ってもいなかったであろう。ところが、ナポレオンの出現により、その夢が現実となるかもという感情が湧いてきたのではなかろうか。普通の人は、そうなると思う。当然、ナポレオンに対する期待も膨らむ。結局、ドイツはナポレオン率いるフランスに敗北した。諸侯は逃げた。オーストリア帝国もただでは済まず、フランス軍はウィーンに駐屯した。ベートーヴェンは嬉しかったであろう。この時点でこの交響曲第3番「英雄」が作曲されたわけではないが、ベートーヴェンは楽譜の表紙に「ボナパルト」とタイトルを付け。さらに、「ある英雄の思い出のために」と書き加えた。明らかにナポレオンのために作曲された曲である。

第1楽章
 その昔、私が10代の頃、この英雄交響曲を初めて聴くとき思ったことがある。英雄と銘打っているのだから勇壮なメロディーが出てくるのであろうと。だが、冒頭から最後まで勇壮なメロディーはない。代わりに葬送行進曲などというものが第2楽章として挿入されている。ベートーヴェンが考えていたこと、それは一体なんだったのか?50分という第9交響曲の次に長いこの交響曲にベートーヴェンは何を詰め込んだのか?私の思うところを書きたい。ベートーヴェンは、当然ナポレオンに会ったことはない。だから、英雄であるナポレオンに対しては、どういう人かということは、聞いたことから想像するしかない。聞く内容も現代のように正確なものはなかなか入ってこなかったであろう。現代でもフェイクニュースは溢れかえっている。だから、この曲にはベートーヴェンにとっての理想的な英雄のイメージが特に投影されているのではなかろうか。
 この第1楽章から聴こえてくる英雄は、思慮深く優しさに溢れ、気品を備えている人をイメージできる。そして、活動家である。積極的に善政を敷くよう辣腕を奮う英雄が私には連想される。戦場の闘いはイメージできない。ナポレオンというと古今東西、軍事の天才だと皆思っていようが、ベートーヴェンにとっては、圧制から救って善政を敷いてくれる人だったのかもしれない。

第2楽章
 葬送行進曲。何故、ベートーヴェンは英雄と名付けた交響曲に葬送行進曲を挿入したのか?葬送されているのは一体誰なのか?ナポレオンなのか?それともナポレオンの敵なのか?答えは分からない。だが、この葬送行進曲は、恐ろしく悲哀に包まれている。敵への曲とは到底思えない。ここも私なりに考えたことを書きたい。曲想から判断すると、悲哀に包まれているのだから、当然、英雄の死を悼んでいる。ところが、途中、明るく雄渾になるところがある。これが意味するところは、生前の英雄への回想であろう。この楽章の演奏時間はかなり長い。演奏によっては、全楽章中一番長い楽章になることもある。それほどベートーヴェンは英雄の死を悼んでいたと言える。と考えると、やはり、葬送されているのは英雄ナポレオンに他ならない。何故、葬送なのか?それは、英雄視していた頃から変わってしまったナポレオンに幻滅したからに他ならないからであろう。だからこそ、ベートーヴェンはタイトルに「ある英雄の思い出のために」と付した。何とも、哀しくも心を打つ曲である。

第3楽章
 スケルツォ。非常に軽快で疾走感がある。そして、格好良い。だが、進軍といったようなイメージはない。やはり、ここでもベートーヴェンの英雄に対するイメージは、迅速に颯爽と一大事業をこなしていく人をイメージしているように思える。楽想も明るい。一大事業とは、やはり民衆の夢、共和化することであろう。

第4楽章
 フィナーレ。冒頭は何らかの宣言のようである。一大事業が首尾よくいったということであろうか。その後、明るく颯爽と何かを披露しているようでもある。一方、事業の困難さを回想するかのような印象を受ける箇所も多々ある。最後は、ベートーヴェンらしく、勝利を高らかに歌って曲を閉じる。
 この楽章は交響曲の核である。英雄の事業の最後の総仕上げなのではなかろうか。だが、そう考えると、おかしくもある。そのときの英雄、即ち民衆に英雄視されていたナポレオンは、第2楽章で死を迎えているのだから。では、この共和化の事業を継続しているのは、一体誰なのか?誰を想定しているのか?それは、将来現れる英雄を想定しているのではなかろうか。夢と消えてしまった共和化をいつか成し遂げてくれる本物の英雄がきっと現れると信じ、その願いが込めてられていると思わずにはいられない。だから、葬送行進曲の後も第1楽章のように明るく気品に満ちた英雄の楽想が続いているのだと思う。
 ベートーヴェンの心の中ではナポレオンに期待していた共和化の夢は消えなかったのであろう。それを物語るようなベートーヴェンの言葉がある。前述もしたのだが、第9交響曲を作曲する以前、即ち8番まで完成していた時点で、自分が一番自信を持っている交響曲は、この交響曲第3番だと語ったのだ。確かに第5番は素晴らしい曲である。苦悩と闘い、最後に勝利を掴むという。しかし、それ以上の思いは込められていない。だが、この交響曲第3番「英雄」は違う。たとえナポレオンができなかったとしても、共和化へ導く未来の英雄が必ず現れると信じ、その英雄への思いを込めることに成功したのだ。だから、一番の自信作だったのであろう。
 最後にベートーヴェンがこの曲を本当の意味で献呈した未来の英雄について考えてみたい。ベートーヴェンの死後、世界は徐々にベートーヴェンが切望した世界へと変貌していく。第1次大戦では、大まかに言うと共和制・立憲君主制の国(民主国家)と絶対君主制の国との衝突でもある。前者の勝利に終わった。第2次世界大戦はご存知のとおり、共和制・立憲君主制の国(民主国家)とファシストの国との衝突である。ファシストの国は完膚なきまでに叩きのめされた。その後、世界は自由と共和化の担い手アメリカとイギリスによって民主化へと導かれていく。世界から次々と絶対王政の国々は倒壊し消え去っていった。何百年に亘り、世界を自由と共和の道へ導いた人達は数多い。大統領・王・首相から一兵卒まで闘い続けた人達は大勢いる。民間にも大勢いる。この曲は、その人達に捧げられた曲だと思わずにはいられない。



名盤紹介




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