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Ludwig van Beethoven
ベートーヴェン

曲目解説&名盤紹介

交響曲第15番イ短調「悲劇的」

曲目解説

 この「悲劇的」というタイトル、ベートーヴェンは軽い気持ちで付したものではない。この交響曲を作曲するに当たって、構想段階から練りに練った曲であることは曲を知れば知るほど分かる。ベートーヴェンの交響曲はそのどれもが徹底的に練り上げられたものばかりではあるが、この交響曲第15番は中でも特に練り上げられていると思わずにはいられない。

 この曲の楽想はとある人(主人公)を想定して描かれている。「悲劇的」とは、一体誰のことなのだろうか。第1楽章は、主人公の闘いから始まる。強烈に脈打つ主題が奏され、ホルンなどの金管が勇壮に咆哮する。闘いの激しさを物語っている。この闘いは繰り返されるが、狭間に緩やかで憩いのひと時を思わせる楽想が出現する。曲は、発展し悲劇性を帯びた様相を呈してくる。それでも、何とか持ちこたえて、敵とさらに激しくぶつかり合う様が描かれる。

 第2楽章スケルツォ。この楽章では、第1楽章の闘いの継続である。第1楽章の脈打つリズムが強烈なティンパニの打撃で再度登場する。闘いの後には励ましてくれる者の姿がチラつく。励まされた後、再び闘いを始める。が、低弦や木管の低音で奏される不穏な空気は主人公にまとわりつくように漂い続ける。が、主人公はあざ笑うかのようでもある。そして、曲の最後は弱弱しくなった主人公の敵の様子で終わる。

 第3楽章は、緩徐楽章。この楽章は明らかに闘いの合間の休息を表現している。主人公の疲労が極限に達し、傷ついた心と体を癒している様を表現する。途中カウベルの音が登場するが、これは主人公がのどかな牧場で休息を取っている様である。牧場で癒されながらも悲劇的な楽想は登場し、辛くても闘いの継続を固く決意する様を描く。第3楽章全編に亘って登場する安らかな旋律は聴きようによっては牧歌的というより艶やかで、付かず離れず主人公の傍らにいる伴侶のことなのかもしれない。

 第4楽章は、極大スケールの冒頭で始まる。これは、主人公の勝利を確信した閃きではなかろうか。私はこの極大スケールの冒頭が大好きである。その後、曲は弱音になるが、そこからじわじわと楽想が活気づいてくる。戦略を立て直したといったところであろう。さらにはホルンに導かれて主人公の気持ちが充実し、再び気迫の籠った楽想になる。新たな戦略を元に活動を再開し確実に力強く前進していくようである。ここで、美しく快活で艶やかな旋律、即ち喜ぶ伴侶の姿も聴き取れる。勝利を確信し、さらに展開していく。
 その後、曲は弱音で、勝利の余韻といったところであろうか。だが、不穏な雰囲気がまたしても覆い始める。敵にまとわりつかれるが、勝利を高らかに歌う主人公。そこへ、振り下ろされる巨大なハンマーの音と同時にその勝利の歌が突如として悲痛な歌というか敵の呻きに変貌する。ベートーヴェンはここで主人公が敵へ運命の一撃を食らわす様を表現した。その後、主人公は畳みかけるように攻撃を続行し、意気揚々と敵を打ちのめしていく。が、曲が進むにつれ、再度不穏な空気の支配が強くなる。そこへ、伴侶のテーマが登場し励ます。それでも、その旋律はすぐ不穏な空気にかき消され闘いが続行される。ここで、冒頭の極大スケールの旋律が再び登場する。これは、再び勝てるということを再確認したのであろう。曲は静寂に包まれ、この楽章冒頭同様に緩やかに快活になり、勝利を掴もうと闘いを続行する。第1楽章の動機も再登場する。ここは、大きな聴きどころでもある。闘いを金管の咆哮で表現しつつ敵の辛さをヴァイオリンで表現し、勇壮な楽想と悲劇的な楽想が同居する瞬間である。大格闘の末、勝利をどんどん手繰り寄せ再度冒頭の極大スケールの旋律が登場し、とうとう主人公は勝利を掴む。敵が再び一瞬で奈落の底へ突き落される。ハンマーによる第2の運命の打撃である。この打撃が致命傷となり、さらにもう一度打楽器群による強烈な打撃が加わり敵の断末魔が消えゆくように曲を閉じる。

 この交響曲、難しい。どこまで正解かは分からないが、これだけのことが詰め込まれている。たぶん、まだ聴き取れていないベートーヴェンの思惑もあるであろう。それにしても極大スケールの大曲であるし、ここまでのストーリーが詰め込まれた交響曲はそうそうない。降伏などありえないベートーヴェンらしい曲で、見事に闘いや勝利を描ききっている。そもそもベートーヴェンの曲というのは、曲を追うごとに大管弦楽団による演奏となっていき、コンサートホールの舞台のあちこちから様々な音が独立して聴こえ、さらに、それらの音が巧く結びついて一つの複雑な音楽になっている。その上、ベートーヴェンは曲に複雑なストーリー展開を持たせたために尚更難解な曲ともなっている。

 この交響曲第15番イ短調「悲劇的」を聴くにあたり、ベートーヴェンが込めたストーリーを概略でも知っておかなければ、まずもって全編を理解することは不可能である。ベートーヴェン自身、曲を作曲するにあたり知人にこのようなことを語っている。「音楽は複雑でなければ聴衆はすぐに飽きてしまう。」これは、天賦の才の持ち主ベートーヴェン自身がそうだからであろう。それゆえ、このように極めて難解で長大な交響曲が出来上がったのであろう。



 ところで、この曲の主人公は一体誰を想定しているのであろうか?私はベートーヴェン自身だと考えている。ここまでの精緻なストーリーは自身の実体験によるものではなかったか。ベートーヴェンの交響曲は特に敵と闘う曲が多い。その事実を考えると、ベートーヴェンは自身の敵の存在に気付き闘い続けてきたであろうことが想像つく。
 また、ベートーヴェンの凄いところの一つは、このように敵を打ちのめしてきたということ。若かりし頃既に闘っていた。幼少の頃からの経験であるからこそ、打ち勝ってきたとしても長い闘いなのである。だから相当辛かったに違いない。この曲は、差別主義者との闘いを描き、最終的に勝利する。他の曲と決定的に違うのは、敵のテーマや敵の最後まで描かれているということ。ベートーヴェンはこの曲で次のように語っているように思える。「私はお前たちに勝利した。このような悲劇的な結末を迎えるのはお前たちなのだよ」と。もう少し詳しく。第4楽章終結部では、第2のハンマーの打撃の後、さらに聴衆を驚愕させるような打楽器群のとどめの一撃がある。これは、ベートーヴェンの強烈な敵への意思表示と思える。当然、ベートーヴェンのコンサートには差別主義者も侵入し酷評する。その連中をビビらせる意図もあったのかもとすら思える。ここまで曲に詰め込むベートーヴェンの実力、驚異的である。

名盤紹介

テンシュテット/LPO お薦め度:S++

テンシュテット/LPO

テンシュテット

指揮:クラウス・テンシュテット
管弦楽:ロンドンフィルハーモニー管弦楽団
レコーディング:1991年11月4,7日(Live)
場所:ロンドン、ロイヤルフェスティバルホール

 テンシュテットにとって、ベートーヴェンの後期交響曲は定番中の定番である。ワルター以外で、これほど後期ベートーヴェンを得意とした指揮者はそうそういない。テンシュテットの15番を聴いていると、カウベルもそうだが、曲の表情付けがとても上手い。テンシュテットはメロディーに抑揚を付けて自身の解釈を表現するタイプの芸術家ではないと思う。旋律を歌わせるというより、楽器間のバランスを考え、どの楽器のメロディーを如何に強調するかに力点を置いていると思う。カラヤンやワルターらと似たタイプである。また、歌わせるのが上手いのがトスカニーニに似たタイプの指揮者。どちらもマエストロクラスになると凄い演奏になる。この演奏は、テンシュテットのらしい面が特に表出していて、曲に一層哲学的な深みを付加している。



 ベートーヴェンの交響曲第15番「悲劇的」は非常に難解な曲である。その理由は、ベートーヴェンの高度な作曲技術だけではなく、ベートーヴェンがこの曲に込めた精神性が難しいのだ。ベートーヴェン自身の闘いの人生を描いていて、最後は運命の強烈な打撃が加えられ、敵が敗れ、断末魔と共に消えゆく。このようなベートーヴェンの意図を知っていれば比較的分かり易い。だが、通常そのような意図は知らずに、この曲を聴くと思う。その場合、極めて難しい曲に聴こえる。しかも90分という長さ、曲の核となっている第4楽章だけで30分を超える。ところが、テンシュテットの凄いところは、この難解な曲の意図を理解していなくても、曲を理解させてくれるところ。しかも、この演奏はこの曲の初心者、聴き慣れた人、どちらにもベートーヴェンの哲学的な音楽の理解を深めさせてくれる。全楽章、ベートーヴェンの語る世界へ導いてくれる凄い演奏である。
お薦め度:S++
(April.25.2020)
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