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Ludwig van Beethoven
ベートーヴェン

曲目解説&名盤紹介

交響曲第5番ハ短調「運命」

曲目解説

 ベートーヴェン中期の傑作。ベートーヴェン以後、即ちロマン派の作曲家はどうしてもこの曲を意識すると共に、この曲の構造を模範として作曲をしている。特にロマン派前期の作曲家は、第5番「運命」と第6番「田園」を超えるべく悪戦苦闘をしている。ベートーヴェンが逝去した後、ベートーヴェンの曲は段々忘れ去られていき始めた。だが、その時代生きていた力量のある作曲家、メンデルスゾーンやシューマンは逆であった。ベートーヴェンの偉大さを認識しているからこそ、彼らの交響曲は、ベートーヴェンの第5交響曲を模範としている。シューマンの交響曲第1番「春」、第2番など明らかに第5番「運命」の構造と酷似している。メンデルスゾーンの場合、第5番のみならず果敢にも第9番を超えようと交響曲第2番を作曲している。また、メンデルスゾーンは、既に忘れ去られてしまったベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を発掘しコンサートで取り上げ大成功をしている。この二人のすぐ後のロマン派後期のブラームスに至っては交響曲第1番の完成に20年を費やしている。それは、ベートーヴェンの残した交響曲群を意識するあまりそうなってしまったことは周知の事実である。また、同じくロマン派後期のワーグナーに至っては、"交響曲は考えうること全てをベートーヴェンがやってしまった、だから、自分は作曲できない"と断念し、オペラの作曲に専念した。さらに、ブルックナーとマーラーもベートーヴェンの交響曲をたいへん意識している。これほどにベートーヴェンの交響曲は後の作曲に影響を与えると共に試練をも与えてしまった。それほどに優れていて、現代においても多くの人々の心を掴み続けている。それでは、曲の解説をしていきます。

ベートーヴェン

第1楽章
 冒頭のダダダダンという動機というかフレーズ。このフレーズが曲全体の根幹となっている。第1楽章では、このフレーズを何度となく繰り返す。これが意味しているものは、ベートーヴェンの苦悩と言われている。少し話を逸らす。
 ベートーヴェンは、幼少の頃より様々な苦難に遭遇している。才能があるが故に宮廷の歌手だった父親から、モーツァルトのようにしようと、音楽教育を施される。それはたいへん良いことではあるが、その教育が酷かった。何しろ、大酒のみで酔っ払った状態でベートーヴェンに教育を施す。しかも、ベートーヴェンへの暴力は有名な話である。ベートーヴェンが後年難聴になった原因の一つではないかと言われているほど。だが、ベートーヴェンはその境遇と闘う。子供の頃、既に家計をベートーヴェンが担っていたのである。父親がお金を持ってこないから、ベートーヴェンの音楽での収入はそのまま家族の糧に変わっていった。弟二人がいたのだが、二人の面倒もベートーヴェンがみていた。このようにベートーヴェンの闘いは幼少からスタートした。当然、幼い頃は、ベートーヴェン自身の認識は、闘っているというより頑張っているということであったとは思う。だが、成長し、貴族たちにも認められるつれて、頑張る内容が闘いと言えるほどの内容になっていく。彼は音楽家でもあるが、今でいうプロデューサーでもある。自身の曲のコンサートを企画して、当然の如く貴族との対応もしなければならない。考えられないほどの八面六臂の活躍であったことは容易に想像つく。音楽を大衆化したのもベートーヴェンと言われている。いつも逆境に立たされるベートーヴェン、彼は闘い続け、勝利をもぎ取っていった。ベートーヴェンの有名な言葉に「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ!」という言葉がある。この交響曲第5番ハ短調「運命」は、その言葉どおりの音楽である。
 話を元に戻す。第1楽章で、上述のような苦悩、闘いをベートーヴェンは表現している。このダダダダンという動機が、自身に立ちはだかる苦難なのである。このフレーズは、この楽章の中で様々に表情を変える。それは、その苦難と闘っているベートーヴェンの心の表情だと思う。第1楽章で、その闘いは極めて辛く激しいものとなっている。

第2楽章
 第1楽章に登場したフレーズがここでも、形を変えて登場する。タッタタッタタターンというヤツである。闘いの最中の一時の休息で、闘いのことは忘れていないということであろう。苦悩しながらも休息を取り鋭気を養っているようである。ここでも苦悩の表情は様々に変化する。

第3楽章
 休息を終え、再び闘いを始める。敵である苦悩も圧し掛かってくる。ここでも第1楽章のフレーズが、登場する。タタタ、タタタ、タタタ、タタタタンというヤツである。だが、このフレーズの様子が第1楽章より弱弱しくなってきている。

第4楽章
 とうとう、この最終楽章では苦悩との闘いで勝利を掴む。ここで、第1楽章のフレーズが、苦悩しているフレーズから勝利を歌うフレーズに変化する。タタターン、タタタタタタン、タッタターン、タッタターン、タッタターン、・・・というもの。大勝利を歌っている。そして、この勝利を噛み締め、最高に高揚して曲が閉じる。この楽章で"苦悩を突き抜け歓喜に至れ!"とベートーヴェンが語ったとおり、最終楽章で歓喜に至っているのである。信じられないほどの完成度を誇る曲である。



 このように自身の感情を曲に込めた作曲家はベートーヴェンが最初ではなかろうか。ベートーヴェン以前もいたであろうが、ここまでの曲は作曲できなかったであろう。もし、できていたら現在でも演奏され続け、皆の知るところとなっているはず。現在、21世紀。今年は、ベートーヴェン生誕250年である。200年以上経過しても魅力が色褪せるどころか、彼の曲に魅了され続けている。さらには、ベートーヴェン自身にも共感し魅了される人が後を絶たない。私は思う。ベートーヴェンの領域に限りなく近づいた作曲家は確かにいる。ブルックナーとマーラーがそうだと思っている。だが、超えることはできなかったのではなかろうか。これからも、まだまだ作曲家の挑戦や闘いは続くであろう。

名盤紹介

カラヤン/ベルリンフィル(モスクワライヴ) お薦め度:S+
クリュイタンス/ベルリンフィル お薦め度:A+

カラヤン/ベルリンフィル(live)

カラヤン

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
レコーディング:1969年5月29日 モスクワ音楽院大ホールLive

 1969年というと冷戦真っただ中。この時代に東側の国に行ってコンサートをやるというのは、まずもって不可能。というか、ありえない。招待されることもないであろう。そんな背景でのコンサートの模様。カラヤンもベルリンフィルのメンバーも気合が入っていたのであろう。それは、凄い切れ味の演奏となっている。キリリと引き締まっていて、颯爽としている。それでいて鬼気迫るような迫力で迫ってくる。こんな演奏を生で聴いたモスクワの人達が羨ましい限りである。カラヤンとベルリンフィルによる東京でのベートーヴェン全曲公演がCDとなているが、試聴した限り、比較にならない。断然、モスクワライヴの方が良い。
お薦め度:S+
(April.17.2020)
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クリュイタンス/ベルリンフィル

クリュイタンス

指揮:アンドレ・クリュイタンス
管弦楽:ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
レコーディング:1957年~1960年

 台風19号の被害があまりにも大きすぎる。河川の決壊した箇所は73か所に上ると今日の新聞の朝刊に出ていた。被災した方々に心よりお見舞い申し上げます。

 昨日、足の甲が1か月近く痛むので整形外科に受診してきた。痛むと言っても痛みが消えたりもする。1か月も続くので、もしや骨に何か異常を来たしているのでは?と心配になり受診してきた。結構、ドキドキしながら待合で名前を呼ばれるのを待っていた。特殊な病気だったらどうしよう?などと思っていた。2時間ほど待った後に名前が呼ばれた。レントゲンを撮影してから、先生に再び呼ばれた。病名は、、、特に無し。つまり、骨に異常なし。めちゃくちゃほっとした。先生曰く、”湿布でも出しときましょうか?”。私、”お願いします”。で、湿布を貰って帰宅。気が楽になったところで、今度は頭痛が発生。私の飲んでる頭痛薬は、通常6時間の間隔を空けなくてはならない。1回目飲んでも治らず、2回目飲んでも治らず。3回目飲んでようやく治癒。だから12時間以上頭痛で苦しんだ。もう勘弁してくれ!

 ベートーヴェンの交響曲第5番。これほど勇気を貰える曲は少ない。10代の頃、よくこの曲を聴いて気合を入れたものである。アンドレ・クリュイタンスとベルリンフィルの組み合わせ。現代では、ベーレンライター版のベートーヴェンが主流になっていると思うが、私が10代の頃は、無かった。そんな中、このクリュイタンス&ベルリンフィルの5番に出会った。美しく、ダイナミックで精緻な演奏。現代、このように美しい響きの演奏はなかなか聴けるものではないと思う。もちろん、アプローチの仕方が違うという点はあると思う。それにしても美しい。透き通っていると言いたい。私は、この5番のCDを単発発売のものとこの全集と両方持っている。この5番を聴いてしまうと、他の曲はどのような演奏かたいへん気になる。で、数年前だが、買ってしまった。
お薦め度:A+
(October.16.2019)
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