Part1を読んでいただけたでしょうか?読んでいない方は"こちら"からどうぞ。Part1で書いた通り、ブルックナーの交響曲は、
演奏時間が長いが、曲を好きになってしまえば何の問題もなく聴けてしまう。いや、曲の長さすら好きになってしまう。何故なら、長いとは思いつつも全く気にならなくなるから。
それから、一番、聴く人を寄せ付けないようなオーラを放っているのは、ズバリ楽想!この楽想について、今回は紐解いていこう(←偉そう)と思います。どうぞ、お付き合いください。
楽想とは、字から察するとおり、その音楽や曲、歌が持っている雰囲気です。楽しくウキウキするようなものもあれば、悲しくなったり、切なくなったりするものもある。一方、カッコよくて
ウキウキを通り越してノリノリになるような楽想もありますよね。ロックの中でもハードロックは、そんな曲が多いですね。それは置いといて、アントン・ブルックナーです。ブルックナーの交響曲の楽想を
理解する上で、知っておいた方がよいことがあります。ブルックナーの作風に強く影響を及ぼした話です。これを抜きにブルックナーを理解するのは、相当時間が掛かります。理解できますけど、
時間が掛かります。それは、キリスト教カトリックです。
ブルックナーは、敬虔なクリスチャンでした。なぜ?実はブルックナーの父親が早世してしまい(確かそうだった)、残された母親が、アントン君の養育が困難と考え、教会へ息子を頼みに
行きました。その教会こそ聖フローリアン教会であり、カトリックの教会です。その教会の神父さんは、アントン君を暖かく迎え入れたようです。そこで養育されていくうちにアントン君の才能が開花しました。
まず、超級のオルガニストに育ちます。作曲も行い、宗教曲や交響曲の作曲もしました。思うのですが、教会というところの凄さを再認識しなければなりません。
聖フローリアン教会("教会へのリンク")は、規模の大きい教会でありまして、
当然、図書館も充実している でしょう。そんな中で育ったわけです。しかも教育者は神父さんたちですから、才能も開花しやすかったと推測できます。
そして、育ちが育ちですから、敬虔なカトリック信者になったわけです。自身が作曲することすら、神のご意思だと考えていましたし、また、第9交響曲は神に献呈すると語っています。
ブルックナーは生涯変わることがない強い信仰を持っていました。なかなかできることではないと思います。因みに私は敬虔っぽい仏教徒。ぽいというのは、お寺などに参拝に行くと気持ちが
得も言われぬ感覚になります。心がシュッとします。神宮に参拝に行ってもそう。ははは。以前、海外旅行でヨーロッパへ行ったとき、教会に立ち寄ってみました。
やはり、シュッとしましたね。何か邪念が消えていくんですよね。また話が横道に逸れてるぞ!と思ったあなた。それは、間違いです。実は、逸れていないんです。この邪念が消えるという感覚。
これもブルックナーなんです。ブルックナーの交響曲は初期の頃から、第2楽章もしくは第3楽章が必ずアダージョの緩徐楽章になっています。このアダージョこそ、前述の邪念を取り払ったブルックナーの信仰心に
他ならないと思うわけです。言うなれば神に捧げる音楽と言っても過言ではないと思います。交響曲ではあるけども、ブルックナーの信仰心がアダージョ楽章を包み込んでいます。
他の作曲家の緩徐楽章とは性格が違います。得も言われぬ清らかな曲が多いのも当然。お薦めは、まずは6番のアダージョです。5番以降のアダージョはすべて凄いですが、ここは聴きやすく
心に響きやすい6番のアダージョを挙げておきます。お薦めの指揮者は数ありますが、まずは、ティントナーを押しておきます。間違いなく清らかなアダージョが聴けますよ。
他の楽章は次回です。
(4.10.2019)