ADAGIO MISTERIOSO

著作権について

Anton Bruckner/ブルックナー

ブルックナーの交響曲を理解するには

Part3 ブルックナーの楽想を知ろう(第1楽章編)

 Part2を読んでいただけたでしょうか?読んでいない方は"こちら"からどうぞ。今回は、Part2に引き続いてブルックナーの交響曲の 楽想について。第1楽章編です。なぜ1曲丸ごと話をしないのか?各楽章ごとに話をするのか?疑問に思った方もいらっしゃると思います。特に理由はなく、自分が書きたいからです。ははは。 とは言え、1曲が長いというのも理由の一つかもしれません。ブルックナーの交響曲は第3主題まで登場しますから、各楽章ごとに書いたほうがいいかもなんて思います。

 ブルックナーが敬虔なクリスチャンだったという話は前回しましたが、「敬虔な」とくると、明るくノリノリな曲は作曲しなさそうなイメージを持つかもしれません。でも、考えてみて下さい。 明るい曲を作曲するのと、「敬虔なクリスチャン」は関係ないと思います。性格です。絶対。では、ブルックナーは?熱い心を持っていたようです。自身で語っています。熱い血潮のカトリックだと。 熱い血潮があるかないかは、宗教は関係ありません。でもブルックナーは、自身が熱いハートを持っているから、熱い血潮のカトリックと言ったわけです。何やら、またまた関係なさそうな話に なってきましたが、関係大有りです。アダージョ楽章の清く荘厳なイメージからは到底考えられないような楽想が他の楽章を占めていたりしますから。それは、ブルックナーの熱い血潮に依る ところだと思います。

 さて、ブルックナーの熱い血潮は曲にどう影響したのかを書いていきたいと思います。ベートーヴェンやマーラーも熱い血潮を持っていたことは想像し易い。彼らの曲は嵐が吹き荒れているから。 ブルックナーの交響曲も嵐が吹き荒れてます。8番など分かり易いですね。1楽章、2楽章、4楽章、結構強烈です。今回は、8番を例にとって第1楽章の楽想に迫っていきたいと思います。などと書くと、 ”おいおい全ての交響曲の第1楽章の楽想が同じな訳ないだろ!”とご指摘を受けることは承知しています。が、ブルックナーは、自身の交響曲に一貫性を持たせたと私は思っています。 1番から9番まで変則的と言える曲は見当たらないのではないでしょうか。唯一7番の終楽章が短めで変則的と言えるかもしれません。でも、この程度です。多少の差はあれど、 楽想は一貫してると思います。で、8番の第一楽章。地の底から何か立ち上ってくるかのような、期待と不安が入り混じったような楽想です。このようなドキドキする曲を書いたのは、他に ベートーヴェンとマーラーしか思い当たらない。マーラーはブルックナー後の作曲家ですから、ブルックナーに影響を与えたのは、ベートーヴェンとなります。ブルックナーが手本としていたのは、 明らかに第9です。第9の構成をずっと取り入れ続けました。とは言え、ブルックナーは全く同じものを作り上げたわけではありません。特に曲の構成を取り入れていただけです。ワーグナーの 影響も忘れることはできません。が、ワーグナーの曲に出会う前に既に強烈に金管が咆哮し、弦楽器が唸りを上げる曲を書いてます。ブルックナーの楽想はブルックナーだけのものです。

 第1楽章はどの交響曲も極度に深刻な楽想になります。ですから、聴衆を曲に惹き込んでいきます。しかし、理解できない人もいます。それは、曲の深刻さを捉え切れていないから。 よーくフレーズを聴いてみてください。必ず深刻な楽想に気づきます。そこに気づきかけたとき、ブルックナーの曲にハマりかけていることになります。そうなんです。ブルックナーの曲は理解できてしまうと、 ハマります。ホントに。私もまさか自分がここまでブルックナーの曲を好きになるとは思ってませんでした。何故、そこまで好きになるのか?ブルックナーワールドとは一体なんなのか?それは、 第4楽章編で書きたいと思います。次は、スケルツォ楽章編です。

 8番でお薦めのCDを紹介致します。改訂版ではティントナー/アイルランド国立響(左)。原典版では、カラヤン/BPO(右)(May.10.2019)
ティントナー カラヤン

当サイトへの連絡・意見・要望
Copyright (C) ADAGIO MISTERIOSO. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system