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Anton Bruckner/ブルックナー

ブルックナーの交響曲を理解するには

Part4 ブルックナーの交響曲を知ろう(スケルツォ楽章編)

 Part3を読んでいただけたでしょうか?読んでいない方は"こちら"からどうぞ。今回は、スケルツォ楽章編です。ブルックナーの交響曲には必ずスケルツォ楽章があります。しかも、似たような楽想です。ブルックナーにとって、スケルツォ楽章はどうしても必要な楽章だったのでしょう。なぜだと思いますか?これについては、私の持論を展開したいと思います。
 ブルックナーが敬愛していたベートーヴェンの交響曲では、スケルツォ楽章は、第2楽章のときも、第3楽章のときもあります。そもそもスケルツォ楽章は、ベートーヴェンが考案したもので、メヌエットの代わりとして配置されました。ここで、少し古典交響曲について。古典交響曲では通常メヌエットは第3楽章に配置されます。その当時、交響曲は、第1楽章はソナタ形式で書かれており、聴いた後疲れるとされていました。そこで、その疲れを癒すために第2楽章では緩徐楽章として穏やかな曲を配置していました。第2楽章で癒されたところで、第3楽章では舞曲であるメヌエットを持ってきて、聴衆の気持ちを少し高揚させ、次の最終楽章では高速な曲で聴衆の高ぶる気持ちを一気に頂点へ導く。というスタイルが初期の交響曲の王道でした。ブルックナーも第5番、第6番、第7番では、第3楽章に配置しています。古典のスタイルを踏襲していました。第8番、第9番ではそのスタイルを変更しました。これは、ベートーヴェンの第9のスタイルを真似たものだと思います。ベートーヴェンは、第9番でスケルツォ楽章を第2楽章に持ってきました。思うに、第9番では第4楽章が長大で且つこの曲の核だから、その楽章の前に聴衆に癒しの音楽を聴いてもらい、心の準備万端で終楽章を聴いてほしかったからでしょう。では、ブルックナーはというと、このベートーヴェンの意図と同じだったのだと思います。ブルックナーの第8番は、終楽章が長大で曲の核ですから。第9番の終楽章は未完ですが、長大であり核であったことは、補筆完成版で明らかです。
 ですから、ブルックナーは第7番までは、古典交響曲の様式を採用していたということが言えます。ブルックナー以前の作曲家、メンデルスゾーンやシューマンの交響曲からは、実は古典様式をさらに発展させられないかと考えていた様子が伺えます。配置やスケルツォ楽章の役割も思考錯誤していたと思います。様式が色々変化してますから。ブルックナーと同世代であり且つ古典派大好きのブラームスでさえ、スケルツォ楽章の意味をベートーヴェンのときから変えている気がします。少なくとも古典のスケルツォっぽさは皆無です。ところが、ブルックナーは古典のスケルツォの在り方を踏襲しています。ブルックナーの交響曲は大編成で長大であり、且つワーグナーやマーラーと比較されたりする作曲家ですから革新的な交響曲と思われるかもしれませんが、実は様式は結構古典的だったりします。とは言え、ブルックナーは古典的な交響曲を作曲したわけではありません。聴いてのとおりです。ブルックナーは様式はそのまま古典を利用しましたが、内容は古典から大幅に充実しています。分かり易く言うと、パワーアップしています。オーケストレーションも空前のスケールです。ブルックナーがスケルツォ楽章を必要としていたと言うより古典の様式に従ったまでの話なのではないかと思います。ブルックナーの交響曲では、実にパワフルなスケルツォが聴けます。ここまでパワフルなスケルツォを書いたのは、ベートーヴェンとマーラーぐらいではないでしょうか。
(November.18.2019)

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