ADAGIO MISTERIOSO

著作権について


瑞相記(エッセイ)

プラモデル

弦楽四重奏曲とは

日本人好みのファッション


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2023/4/25

プラモデル

 プラモデルをご存じだろうか?たぶん、誰もが知っとると思う。だが、プラモデルを作った人は少なくなったのではと思う。俺が子供の頃は、プラモデルは男の子がやる遊びの一つだった。だが、この遊びをやる子供が俺の世代以降から激減した気もする。俺の世代が年齢が上がりプラモデルより別の遊びに興味が移ると当然プラモデルを作らなくなる。だが、次の世代がやり始める。しかし、次の世代はプラモデルを作ることをしなくなった。今思うと、テレビゲームの普及も関係しとると思う。俺が小学校高学年のとき、ファミコンが登場する。俺はやらなかったが、次の世代は、そればかりやったのだと思う。結果として、俺の世代は外で野球とか色々な遊びをやった。学校から帰ってくると、即家を飛び出し、夕飯の時間まで遊ぶ。雨の日とかにプラモデルを作ったりしたと思う。基本的に晴の日は外で遊ぶ。テレビゲームが悪いわけではない。あれもやればいいと思う。だが、そればかりはまずい。他の遊びでしか経験できないものや味わえない感覚を体験できないのだ。その体験は大人になったとき、確実に生きてくる。では、プラモデルを作るとどういった経験をするのか?

 俺の場合、小学生低学年のとき、初めてプラモデルを作っとる。プラモデルを作るとき、説明書がある。どの部品とどの部品をくっつけて嵌め合わせると説明しとるやつである。最初にこの部品とこの部品、次にこの部品とこの部品という具合。そのとき、文章があまり読めなかった。低学年で読める文字は限られとる。でも、説明書を読まなくても感覚でこの部品とこの部品をくっつければいいだろうというやり方で完成することができた。で、あるとき、兄貴とプラモデル屋へ行った。俺が欲しかったのは、宇宙戦艦ヤマトのプラモデル。だが、売ってなかった。で、店内を回っとたら、戦艦大和のプラモデルが見つかった。自分的には、違うのだが、戦艦大和もカッコイイと思っとったから、これいいなと見とれとったら、それは、大和ではなく武蔵だと教えてくれた。で、俺がそれを買おうとしたら、それは止めとけと言われた。何故だろうと思ったら、難しすぎるから、お前では無理だと言われた。それでも俺は買おうとした。で、かなり強力に止められたと思う。なぜなら、絶対無理だから。自分でも逆の立場だったら同じことを言う。でも、俺は欲しいプラモデルは大和だから、武蔵は大和の同型艦と教えてもらって買ってしまった。家に帰って来て、プラモデルを作り始めるのだが、まず、説明書が読めない。小学生低学年で読めない漢字が結構入っとったと思う。で、そもそも説明書を読むことをしてなかった俺は前回と同じ感覚で作っていった。で、結局途中で、失敗してしまう。先に着けてはいけない部品を着けたために、後の部品がどうしても着けられない状況に陥って、どう考えてもそれ以降の工程ができなくなった。それで、兄貴の忠告のとおりだったと痛感した。言うとおりにしておけばよかったと。だが、その後、兄貴がちょっと見せてみろと、直せるかもしれんと。で、兄貴のとこに持ってったら、数日後に綺麗に完成した戦艦武蔵が自分のとこに届いた。あまりにもカッコイイのと、なぜあれを直せたのか、兄貴の凄さに感嘆した。その記憶はずっと消えない。小学生低学年のときの記憶なのだが、その年に自分に起こったことで覚えとる事はほんの少し。ということで、説明書というものが、どれほど重要かということをその年齢で実感しとる。また、手順があるものは、その通りにやらなければ上手くいかないことも知った。こんな具合で、プラモデルを作るという行為は、日常生活で経験しないことばかりである。だから、自分の知らないことを経験できる遊びということだと思う。プラモデルは接着剤、ヤスリ、塗料、シンナー、スプレー、ニッパー、普段使わない道具も使う。そうすると、そういったものの知識も自然と身に着く。腕が上がってくると、コンパウンドとか、マスキングテープとか、マスキングゾルといった物の存在もしる。コンパウンドは車を磨くときや塗装面の修理にも使う。マスキングテープに至っては建築系の仕事でも車の修理でも、色々なところで使われとる。更にマスキングゾルというと、マスキングの意味は分かるのだが、ゾルの意味は分からない。だが、高校生になると、化学の授業でゲル、ゾルという物を教わる。そのとき、あっさりとイメージできる。実はこの違いは結構大きい。普通、悩むと思う。先生は口頭でゲルとゾルの説明をするのだが、それだけではイメージが掴みづらい。先生はそのとき、パンに塗るジャムのような物だと説明してくれた。だが、俺は工業に関する物をイメージしとるからジャムと言われてもピンと来ない。で、頭の中にマスキングゾルという言葉が飛び出してきた。それで、あれか!と一発で理解できた。実物を見たことがある者からすれば、ホントに一発なのである。という具合でプラモデルから得られるものは数多い。兄貴はエンジニアになるために必要な経験を楽しく獲得できると言う。俺もそう思う。

 30代になったとき、再びプラモデルが作りたくなった。小学生のときは、ガンダムやアニメに登場するプラモデルを多く作った。一番、上手くいったのは、キャプテン・ハーロックのアルカディア号であった。あれが完成したときは、とてつもなく嬉しかった。で、玄関に飾っておいた。好評だった。で、30代のときは、子供の頃作れなかった戦艦のプラモデルを作りたくなった。実は小学生のとき、アメリカの原子力空母ニミッツを作ったことがある。あれも自信作だった。完成したものを惚れ惚れしながら見とった記憶がある。で、今度は日本の昔の艦船に挑戦しようと決めた。で、買ったのは1/350モデルの空母赤城である。この空母は当時、機動部隊の旗艦だったと思う。巨大空母信濃が完成するまでは、この赤城が最大の空母だったと思う。子供の頃、空母赤城の人気は知っとる子供には高かった。で、これを買ったのだが、この製品はタミヤではなくハセガワだった。作り始めて、早々にかなりキツイ状況に追い込まれた。船体と甲板を組み合わせるとき、かなり大きなズレがあり、しっかり嵌らないのだ。船体と甲板の部品の間に結構大きい隙間が空いとった。これは酷いなと。これをパテで埋めるのか?これほど大きな隙間を埋めるのは至難の業と思い、結局製作を断念した。それ以来、ハセガワのプラモデルは買わないと決めた。

 この時は知らなかったのだが、実はハセガワというプラモデルメーカーは、タミヤ模型を辞めた人達が創業した会社だったようである。タミヤ模型を辞めた理由は、結局会社をチ〇ンに乗っ取られた為に、色々嫌がらせを受け、自分達がやりたいプラモデルを発売できなくなったかららしい。分かる。乗っ取られた会社はどこも同じようなことになる。その人達が受けた嫌がらせは、まず軍艦のプラモデルの内容を無茶苦茶にされた。昔の軍艦のプラモデルは、当然船全体である。だが、そのチ〇ンたちは、水面から上の部分だけのプラモデルにしろと。水面から下の船体は無くせと命令してきた。いくら設計者がそんなのおかしいと、そんなことをしたら誰も買わなくなると主張をしてもそれをやるように正式な会社の指示書で命令してきた。結局、それをやらざるを得なくなって、ウォーターラインシリーズというものが登場した。で、軍艦のプラモデルは、有名な大和とか赤城以外は、全て船体下部が無いモデルになってしまった。



 大和と赤城もウォーターラインシリーズでは、船体下部が無い。ウォーターラインシリーズはスケールが全て1/700である。で、1/350スケールの大和と赤城だけは船全体のモデルである。だが、1/350のモデルは大和と赤城だけであった。さらに、軍艦の仕様を勝手に変えることもやられとる。例えば、戦艦ビスマルクの主砲は3連ではなく、4連である。大和は砲門が3つ横に並んどる砲塔が、合計5つ設置されとる。ビスマルクは砲門が4つ並んだ砲塔が3つ設置されとった。だが、ビスマルクの砲門は4連ではなく2連だと言い出し、そうしろと言い出した。他にも航空戦艦日向と伊勢は、船の前側は戦艦で後側が空母という仕様。実はこの船は大和や武蔵の後に建造された。で、船の前側は大和や武蔵と同じ仕様だった。即ち46センチ砲3連の主砲が2つと副砲が1つ設置せれとった。後側も大型空母に匹敵する甲板が設置されとったのである。だが、その時のチ〇ンたちが、船の前側は2連の主砲2つ、後側の甲板は、航空機が帰還できないほどの短い滑走路の甲板に変えられた。ハッキリ言ってカッコ悪い。俺が 子供の頃見たプラモデルの箱に描かれとったデザインは、正しく前側は大和、後側は大型空母だった。こんなことを強要されたら、制作する人達は仕事も嫌になるであろう。で、その人達はタミヤを辞め、ハセガワというプラモデル制作会社を創業した。だが、結局、その会社もチ〇ンに乗っ取られた。乗っ取る方法は、もうすり替えしかない。これは、その時では到底見抜けない。この時も嫌になり、会社を辞め、新たな会社を立ち上げるのだが、乗っ取られたハセガワがやったことは、もっと酷い内容であった。要は、プラモデルの金型を不良品になるように改造した。その結果、プラモデルは全て金型にプラスチックを流し込み、その後冷却し、製品が完成する。だが、その金型自体が、前述の赤城のように部品と部品がかみ合わないものになっとるため、不良品だけが、市場に出回ることになった。当然、ハセガワの信用度は0になる。このようなことをやられ続けた。実は、その後立ち上げた青島文化教材社という会社も乗っ取りをやられた。で、常に同じことをやられるので、その後会社を立ち上げることを止めたのだが、国を取り返すどこかのタイミングでまた立ち上げようと決めとったようである。で、コツコツ艦船や航空機の模型の設計をため込んでいった。そこで、現在、「フジミ」という会社を立ち上げ、艦船模型の多くの種類がズラッと並んどる。仕様もかなり細かい。凄い完成度である。だが、相当難しいとも思う。だから、作り甲斐もある。因みに、このフジミという会社名、最初俺は静岡の人達だから、「富士見」という意味だろうと思っとった。だが、実はこちらのフジミだった「不死身」。カッコよすぎる。


フジミ模型ロゴ

 30代にプラモデルを作ったとき、赤城は断念せざるを得なかったが、結局ウォーターラインシリーズのプラモデルしかなかったので、それを買った。大和を作りたかったが、細部にまで拘りたかったから、手始めに巡洋艦あたりから作ろうと思って探したら、なんと航空巡洋艦という種別がった。ずっと知らなかった。航空戦艦日向は知っとったが、航空巡洋艦が存在しとったとは知らなかった。それで、航空巡洋艦最上を買って作った。なかなかの出来栄えだった。部屋に飾ってやった。下の写真は俺が作ったものではないが、最上の外観を伝えたくて載せた。


航空巡洋艦最上

 その後、空母信濃が欲しくなったが、やはりここは、最上級の信濃ではなく赤城でもなく瑞鶴でもなく、大鳳にした。ただ、大鳳は軽空母ではない。中型でもない。大型空母である。戦艦タイプの艦船で言うと、巡洋艦ではなく戦艦に相当する。戦艦タイプとは言え旗艦には相当しないから、戦艦金剛あたりの等級かと思う。この大鳳の出来栄えもなかなかであった。その後、空母信濃を買おうかと思ったが、空母大鳳を見つけたとき空母瑞鶴の存在を知った。それで、瑞鶴について調べとったとき、瑞鶴の細部に拘ったプラモデルの完成品を目にすることとなった。そのとき、エッチングパーツというものを知った。エッチングパーツを使った完成品がこれである。俺が作ったものではないが。


空母瑞鶴(エッチングパーツ付)

 これを見たとき、エッチングパーツ付きのモデルを作りたいと思い、エッチングパーツやら色々揃えた。が、結局奴等に邪魔されて作れず。別のことをやり始めてしまった。が、今回、上述のフジミが発売したモデルが凄い内容になっとるし、種類もほぼ完全に網羅しとる。それで、とりあえず赤城を買ったが、それより先に戦艦金剛を作りたくなり、エッチングパーツ付き金剛を買った。もちろん、ウォーターラインシリーズではない。部品は木製甲板シールが届いたら全て揃う。後は塗料を揃えるだけ。塗料は基本的には3種類。エアブラシも買った。ところで、30代のとき、エッチングパーツを探して名古屋周辺の模型屋さんを探し回ったことがあった。そのとき、エッチングパーツなるものは、別売りで模型屋さんにもなかなか置いてないものであった。ところが、模型やき、知多の半田市にあった模型屋さんに行ったところ、店内は広く、艦船や戦闘機、戦車などのプラモデルが豊富に置いてあった。あまりの品揃えに店内を回るだけでワクワクした記憶がある。しかもエッチングパーツも普通に置いてあった。店名は「模型のアサヒ屋」。プラモデルが好きな人は是非行ってみて頂きたい。ワクワクすること請け合いである。
〒475-0804
住所:愛知県半田市上浜町10-18
駐車場有り



 戦艦金剛の残りのパーツが後数日で届くと思われる。制作意欲がかなり上がってきとる。やる気が漲っとる感じなのだ。ふぅ。

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2023/3/20

弦楽四重奏曲とは

 現在、弦楽四重奏曲を聴くクラシックファンは少ないと思う。察しの通り難しいから。私は、10代でクラシックを聴き始めたのだが、やはり、交響曲や協奏曲もしくは管弦楽曲ばかり聴いとった。その頃、クラシックを聴こうとすると、ラジオのNHK-FMを聴くことになる。CDなるものが登場し始めた頃で、記録媒体はまだレコードが主流だった。今、レンタルCD屋があるのだが、その頃にレンタルレコード屋が登場した。なぜ、レンタルレコード屋が登場したのか?当時の中高生や大学生のお小遣いで、聴きたいレコードを全て買うことは不可能だったから。レコード1枚の価格は2800円だった。これは、クラシック音楽のレコードの価格ではなく、ポップスやロックのレコードの価格。中高生では、そう頻繁に買える値段ではない。今の中高生が親からお小遣いをいくら貰っとるかは分からないが、その当時、2000円~3000円が主流ではなかったか。私が高校生のとき、5000円貰っとるという奴がいたが、たぶん、そんな奴は稀だったと思う。私は、中高生の間はずっと2000円だった。だから、レコードを買うことはなかなかできない。しかも、ポップスやロックを聴いとる者は、上述のレンタルレコード屋へ行けば、大抵聴きたいレコードが置いてあったから、借りれば聴ける。そして、聴くとき、カセットテープに録音すれば、レコードを返却後もずっと聴けるのである。だが、クラシックのレコードが置いてあるレンタルレコード屋はなかった。たまに置いてある店はあったが、1枚か2枚程度。ホントに。だから、借りたいレコードは絶対置いてなかった。近所になぜかストラヴィンスキーの「春の祭典」が置いてある店があったのだが、借りようと思って行った時、無くなっとった。そうすると、レコードで聴くことはまずできない。となると、ラジオとなる。で、クラシックのラジオ番組だと、ポップスとは違い、全曲最後まで放送してくれる。しかも、演奏時間は新聞の一週間のラジオ番組表にしっかり記載されとった。だから、ラジオで聴くとき、演奏時間に見合う録音長さのカセットテープを用意して、聴きながらカセットテープに録音するのだ。それで、レコードを買わなくてもずっと聴くことができた。しかも、音質もよかった。また、来日オーケストラのコンサートも会場が録音し、それを後日ラジオで流してくれた。だから、良い音質でレコードでも聴けない演奏が結構聴けた。中には生放送してくれるときもあった。ビックリしたのは、カラヤンがベルリンフィルと来日したとき、なんと、コンサートを生放送してくれた。当然、私はカセットテープにその放送を録音した。現在でも覚えとるのは、ブラームスの交響曲第1番とチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」とベルリオーズの幻想交響曲である。どれもが破格の演奏で、毎日のように聴いた。だが、カセットテープをカセットデッキで再生するとき、デッキの中でテープがクシャクシャにされてしまい、今では聴くことができなくなった。だが、その3つの内、チャイコフスキーの「悲愴」だけは、無事に生き残ってくれている。で、それをパソコンを使い、デジタル音源に変換しCDに焼いて持っとる。今、改めて聴いてもかなりの高音質である。ノイズはあるが、問題なく聴けるレベルである。いつものように話が逸れまくっている。話を戻す。

 クラシックの曲を聴くとき、やはり耳を奪われるのは、何十種類という楽器を使い演奏するオーケストラの曲だと思う。当然、音色が豊かで迫力もある。一方で、オーケストラの曲でも楽器一つで演奏する場面もある。だから、表情が極めて多彩なのである。当然、感動できる。だが、弦楽四重奏曲というのは、弦楽器だけの演奏。しかも、弦楽合奏のように、多くの弦楽器で合奏するわけでもない。ヴァイオリン2台とヴィオラ1台、チェロ1台である。たったの4つなのだ。聴いてみると、オーケストラのときのヴァイオリンの合奏の響きとはまるで違う。そして、温もりを感じる木管楽器の音も迫力のある金管楽器の音も打楽器の音もない。オーケストラの曲に慣れた者の耳には、言い方は悪いが、かなり貧相な音色に聴こえるのだ。言うなれば、カラーの色彩がオーケストラの音色、白黒の色彩が弦楽四重奏曲。だから、弦楽四重奏曲を聴くときは、まずこの壁を突破しなくてはならない。


アルバン・ベルク四重奏団

 上記のようなことを書いたが為に、弦楽四重奏曲に興味が無くなってしまっては困る。なぜなら、凄い曲がたくさんあるのだ。だからこそ、聴いてもらいたい。弦楽四重奏曲のファンを増やしたいのだ。ファンが増えれば弦楽四重奏曲のコンサートに足を運んでくれる人も多くなるだろう。そうすれば、演奏者も張り合いがあるというもの。コンサートでも室内楽のコンサートはオーケストラのコンサートよりチケット代が低めである。だから、結構気軽に聴きに行ける。しかも、会場がコンサートホールの規模ではなく、小ホールか中ホールだから、音もよく聴こえる。私は名古屋に住んどるのだが、この辺りだと、宗次ホールがまさしく室内楽用のホールで聴きに行ったこともある。いいホールだったし、価格も安かった。その宗次ホールは、有名どころのカルテットも演奏しに来てくれたりしとる。ビックリしたのは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲をチクルスでやったりするカルテットもおった。確か有名なカルテットだった。だから、私は聴きたい曲があったから、チケットを買おうと販売されるのを待っとったのだが、コンサートに行ける状況ではなくなってしまったため、結局断念せざるを得なかった。でも、次々に良いコンサートが開催される。宗次ホールはお薦めである。


宗次ホール

 さて、本題に入ろう。まず、弦楽四重奏曲というジャンルについて。人気の高い大編成の交響曲とか協奏曲とかあるのだが、実は協奏曲の歴史は古い。ヴィヴァルディのとき、既に存在した。たぶん、ヴィヴァルディが人気の高いジャンルに押し上げたのであろう。実際、ヴィヴァルディはヴァイオリン協奏曲をあの有名な「四季」以外にも相当な数を作曲しとる。人気が高いからこそ、そして、作曲しがいもあるからこそたくさん作曲したのだろう。当然、その後に登場するバッハも協奏曲はたくさん作曲しとる。この頃、交響曲も弦楽四重奏曲も存在していない。では、いつそのジャンルが考案されたのか?バッハの後の時代、モーツァルトの少し手前の時代である。モーツァルトが登場する少し前である。実はラースというか、ハイドンがこの2つのジャンルを創設した。その頃、ハイドンの人気は非常に高く、その時、ベートーヴェンはハイドンに弟子入りしたのである。実は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の第1番から第6番までは、ハイドンに弟子入りしとった時に作曲されたものである。ピアノ・ソナタも作品番号の若いものは、ハイドンの弟子だったときの作品である。この時、ベートーヴェンは、ハイドンから色々と陶酔を受けた。で、話を戻すが、弦楽四重奏曲をハイドンは、そうれはもうたくさん作曲しとる。交響曲もそうである。交響曲は100曲以上、弦楽四重奏曲は80曲以上である。因みにモーツァルトは20曲以上である。モーツァルト自体、全てのジャンルに名曲を残した作曲家なのだが、名曲を作曲しただけでなく、作曲した曲数も破格なのである。で、ハイドンも同じく作曲した曲数は破格である。私はハイドンの曲をあまり聴いてこなかった。だが、気になっとる曲は結構ある。だが、なかなか手が出せないでいる。で、ハイドンが作曲した80曲以上に及ぶ弦楽四重奏曲なのだが、有名な曲はたくさんあるのだが、分かり易いところを一つ紹介しておこう。ドイツの国家にされた第77番「皇帝」は、絶対聴くべきである。第2楽章の主題(主になっとるメロディー)が国家に転用された。因みに国家で有名なのは、やはりアメリカの国家であろう。非常に勇壮で威厳があり気合いも入り真っすぐな気持ちになる。非常にポジティブな印象を受ける楽想である。で、ハイドンの方は、国家に転用されたのだが、そういう楽想ではない。威厳はあるのだが、優しさで包み込むような印象を受ける。実はハイドンは、その当時の皇帝に「神のご加護を」という願いを込めて作曲したのである。だから、そのような楽想になっとるのである。ウィキの解説を読むと、ナポレオンがオーストリアへ攻め込んだときに作曲されたとか書いてあるし、その対象となった皇帝は神聖ローマ帝国皇帝のフランツ2世となっとる。が、それはないであろう。ナポレオンが攻め込んだとき、既にオーストリアは神聖ローマ帝国ではなくなっとる。マリア.テレジアが率いたオーストリア帝国なのである。しかも、ナポレオンがオーストリア帝国に攻め込んだとき、既にマリア.テレジアは亡くなったことになっとる。次の代の皇帝なのである。で、ハイドンがいなくなった後にナポレオンが活躍を始める。だから、ナポレオンのオーストリア侵攻とハイドンの活動は全く時代が違う。そうなると、この曲は、誰に対して「神のご加護を」と願ったのであろうか?時代を考えれば明らかである。マリア.テレジアしかいない。正しくハイドンの時代に活躍した女帝だったからである。しかも、ハイドンの時代、彼女が育て上げた国は絶頂期を迎える。それは、モーツァルトの時代まで続いた。だからこそ、国中から尊敬を受けていたことが窺えるし、彼女は芸術家、特に音楽家を庇護して活動を支援した。だから、ハイドンも彼女を尊敬し彼女のための曲を作曲したのであろう。


フランツ.ヨーゼフ.ハイドン


マリア.テレジア

 で、その曲についてなのだが、当然、弦楽四重奏で演奏される。だが、それをオーケストラで演奏したらどうなるであろうか?確実に感動の度合も大きくなる気がする。では、なぜハイドンはオーケストラの曲として発表しなかったのか?ハイドンの手腕を持ってすれば訳もないであろう。でもしなかった。なぜ?やはりハイドンが表現したかったものがオーケストラではできないと判断したからであろう。この曲は一体何を表現しとるのか?前述の通り、この曲の核は2楽章のマリア.テレジアに「神のご加護」がありますようにというハイドンの願いである。即ち、神の愛情に優しく包み込まれることを想像したのであろう。それだけハイドンらを大切にした女性だったと言える。だからこそ、大規模な編成で演奏しては、その優しく神のご加護に包まれとる状況を表現できないと判断したと思われる。で、弦楽四重奏で演奏されると、明らかに優しく何かを包み込んどるように聴こえてくる。弦楽器をたった4人で演奏するからこそ、その表情を出せるのだと思う。という具合に弦楽四重奏だからこそ表現できるものがあるのだ。ハイドンは、やはりこういったことを表現できる音楽として弦楽四重奏曲というジャンルを創造したのであろう。

 次に弦楽四重奏の特徴について、思いついたものを書いていく。小編成の室内楽全般に言えるのだが、各楽器の音がよく聴こえてくる。オーケストラの場合、どうしても大きな音を出す楽器の音にかき消されてしまう楽器の音がある。そういう音は曲を何度も聴いて、その曲を完全に理解したとき、その楽器の音に注目して初めて聴こえてきたりする。だが、弦楽四重奏では、そのようなことはない。楽器は4つだから。絶対よく聴こえる。しかも、何十台ものヴァイオリンの合奏とは違うから、個人の細かな表情付けを演奏に入れることもできる。だから、ソリストが4人おる編成と考える方がいいかもしれない。分かり易く書くと、ヴァイオリン協奏曲では、当然、ソリストは一人である。だが、ベートーヴェンの3重協奏曲では、ソリストはピアノ、ヴァイオリン、チェロと3人おる。即ち、弦楽四重奏では、ヴァイオリンのソリストが2人でヴィオラとチェロがそれぞれ1人おるということである。そして、バックのオーケストラはいないということ。この4人だけで全てを表現する。考えてみると、交響曲はこの逆である。ハイドンは、交響曲と弦楽四重奏曲は対のジャンルとして考えとったのかもしれない。細かな表情を表現するのが、弦楽四重奏曲で、大規模なものを表現するのが、交響曲だと。実際、弦楽四重奏曲の楽章の構成も曲のストーリー構成も弦楽四重奏曲と交響曲は極めて似とる。真偽のほどは本人に聞いてみないと分からないが。

 で、この弦楽四重奏曲では、ダイナミックなものを表現するのは向いていないと書いたが、後々、この小編成でそれをやった者が登場する。ベートーヴェンである。ベートーヴェンが晩年に作曲した後期弦楽四重奏曲では、様々なものを表現しとる。あまりの凄さにただただ驚くのみである。あの曲を超える弦楽四重奏曲はないと思う。それほど凄い。
 弦楽四重奏曲はこんな感じである。もちろん、今思いついた内容を書いとるだけだから、全てを書いた訳ではないし、私が気付いていないものもあるだろう。それで、弦楽四重奏曲は理解し易いかと言うと、そうではない。結局、難しい音楽である。4人全員がソリストであるがために、各楽器の演奏の表情付けが色々入る。そのため、楽器間の連携が聴き取り難い。要は、伴奏を演奏しとる楽器があって、その伴奏に乗って主題を奏する楽器がるとしよう。だが、その伴奏が、難しい表情付けをしていたら、伴奏を理解した上で主題を理解しなくてはならない。これは聴く人にとっては結構難しい。ロックで考えると、ドラムとベースがリズムを刻む。そこへギターがリフを挿入する。ギターが主題を弾いとるわけである。これで、一つの音楽が完成する。この時、聴く人はドラムやベースの音を追いかけることはしない。ギターが奏でる旋律を追いかけて聴く。ドラムはベースの音は感覚的に聴く程度である。それで、時折ドラムがギターが奏する主題の合間に変則的なビートを入れたりする。そういった時にドラムの音を追いかけるのである。だが、弦楽四重奏曲は、このドラムやベースの音がかなりの度合で変則的になると考えて欲しい。普通なら感覚的に聴くことができるものがそんな風には聴けなくなる。これが、弦楽四重奏曲を難しくしとる原因ではないかと思う。だが、その壁を突破したら、他のジャンルの音楽でも今まで聴こえなかったものが聴こえるようになると思う。因みに、スラッシュメタルのメタリカの音楽は、このタイプの音楽だと思う。ドラムは弦楽四重奏曲とは比較にならないほど、変則にビートを刻む。特に4枚目の「... And Justice For All」がこれにあたる。だから、簡単には理解できない。非常に難しい音楽である。

 という具合で弦楽四重奏曲は難しいジャンルに属する音楽である。だが、前述した通り、このジャンルでしか表現できない楽想がある。で、そういった楽想を聴くことができる。その楽想を理解できたとき、たぶん、初めて経験できる感動を味わうことができると思う。大きな表情ではなく個人に寄り添うような温もりを感じる楽想を聴くことができるのだ。そう、身近に感じる楽想が弦楽四重奏曲の特徴である。自分のすぐ隣りにいるような感覚である。だから、上述のハイドンの「皇帝」を聴いとると、人から優しさを感じたときのような幸福感を味わうことができると言えよう。もちろん、全ての曲がそういう曲ではない。曲によって作曲家が表現したものが違うから。言いたいのは、弦楽四重奏曲から感じとれるものは、身近に感じる何かということである。幸福感を感じる楽想を持った曲(ハイドンの第77番「皇帝」)を例に説明しただけである。シューベルトの弦楽四重奏曲第14番からは、幸福感は感じられない。だが、この曲から受ける様々な感覚は、身近なもののように感じられるということである。

 どうであろうか?弦楽四重奏曲に興味を持っていただけたであろうか?私は中学生の頃、前述のとおり、ラジオでクラシックを聴くことが多かった。そのとき、当然、弦楽四重奏団が来日したときのコンサートを後日、放送してくれるのだが、初めて聴いたとき、あまりの難しさに聴きたいという気持ちが一瞬にして消え去った。でも、ちょくちょく弦楽四重奏曲は放送された。だから、人気がないのではなく、難しくて今の自分では理解できないだけだろうと思っとった。それで、そのとき、大人になり、もっと理解力が上がったら聴こうと決めた。それ以来、弦楽四重奏曲が放送されるときは、その番組を聴くことはしなかった。で、大学へ進学と同時にクラシックを聴かなくなったが、30歳半ばでクラシックを再び聴き始め、その後、40歳少し手前ぐらいのとき、そういえば弦楽四重奏曲をこれぐらいの年齢になったら聴こうと決めとったなと思い出し、このジャンルに果敢にチャレンジしてとうとう勝利を掴んだのである。大袈裟な表現だと思われるであろう。冗談で書いたと思われるであろう。確かにそういう気持ちも入っとるが、それぐらいこのジャンルを理解したとき嬉しかった。そして、何かに打ち勝ったような気持ちにもなった。是非皆もチャレンジしていただきた。理解したとき、弦楽四重奏曲の大ファンになること請け合いである。有名な作曲家はまず間違いなく弦楽四重奏曲を作曲しとる。そして、必ず名曲を残しとる。名前を挙げておこう。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス、チャイコフスキー、スメタナ、ドヴォルザークなど。他にもたくさんおる。

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2023/1/27

日本人好みのファッション

町ゆく日本人を見ると、皆同じような恰好をしとる。服装の話である。よく言われるのが、シックで大人びて見えてカッコいいと。本当にそうであろうか?また、カッコいい服装をすると、不良っぽいとか、派手とか、近寄りがたいとか、そんな風に思わないだろうか?また、少し前だと思うが、少しカッコよく見せる服装をちょい悪とか表現しとった。例えば、「ちょい悪オヤジ」である。こんな感じ。



 この服装を見て、悪い奴と思う人がどれだけいるだろうか?今の日本人のファッション感覚は、確実に洗脳されとる。上の写真を見て、ちょっと悪く見えると思った方は、間違いなく洗脳されとる。もしくは、捻じ曲げをやられとる。別に何も悪くはない。他にも、明らかにセンスの良さそうな服装をしとる者がいると、悪い奴のようなイメージにする。テレビだけではない。自分の身近にいる者で、そういう者はいないだろうか?町を一緒に歩いとって、別にカッコいい服装をしとるだけで、「あの人悪そうに見える」とか言う者はいないだろうか?そういう者は、ほぼ確実に日本人のファッション感覚を狂わせることをやっとる奴である。書き始めると、長くなるのだが、学校で習った戦前の日本の体制を思い出してほしい。そう、全体主義である。ファシストというより、全体主義なのだ。この言葉はその当時の日本でも言われとる。では、全体主義とは何?学校では、戦前は日本は全体主義だったと習う。でも、全体主義の中身を説明する教師は少ない。だから、中学生は漠然としたイメージしか持てない。しかも、皆、過去のことと思っとるから全く気にしない。今の世の中は、恐ろしい全体主義ではなく、民主主義なのだと。でも、実は全体主義は変わってない。変わろうとした。しかし、そもそも、戦前におった支配者層がそれをことごとく破壊した。アメリカ軍が日本に進駐しとったとき、東京裁判が行われた。が、その裁判で裁かれたのは、支配者層の者には変わらないが、一番上ではなく、2番手3番手の者ばかりであった。更には巣鴨の刑務所に入れられたのだが、何故かいつの間にやら出所して、こともあろうか選挙に堂々と立候補した。しかも、なぜか当選する。日本人は、犯罪者に対して厳しい。「あの人、犯罪者なんだって」などと暴露されたらまともに生きていけなくなる。誰も助け船を出さないからである。だが、上記の奴らは立候補した。日本人は、その元政治家達は、特攻隊とか人間魚雷とか人間爆弾とか恐ろしいことをやらせた奴等という印象を強く持っとったはずである。だから、そいつらが立候補したら、当然誰も投票するはずがないのである。自分たちを殺しに来る奴や自分達を恐怖のどん底に陥れる奴に投票する馬鹿はいない。では、なぜ奴等はことごとく当選できたのか?簡単である。民主主義ではないから。戦前の体制が続いとったからこそ、一番上の連中の言うとおりになった。要は偽装をしたのである。投票用紙を見て、各立候補者の得票数を数えるように自分達の下っ端に支持を出す。その下っ端の中には何も知らない日本人もいたかもしれない。で、数えた後、合計した数値を各開票所から選挙管理の者が受け取る。しかし、その結果は、公表されることはない。当選するかどうかは、一番上の奴等が決めるのである。だから、誰々を当選させろと言うと、得票数の捏造をして当選したことにする。本来、当選したはずの者は、落選させられる。もちろん、上の奴等が当選だと言えば、そういう者でも当選になる。さらに言うと、日本人は選挙に立候補することすらできなくされた。そう、支配者層だけが立候補できるのである。しかも、一番上は、政治家にならなくても好き放題できるから、立候補などしない。という具合に表向きは民主主義と言いつつ、実際は全体主義がずっと続いとるわけである。

 話を戻す。全体主義とは、支配者に対して絶対逆らえない体制のことである。国民全てを画一的に管理する。全員、同じ思想や考えにするのである。「国に逆らってはいけない」、「お上の言うことは絶対」、「社長の言うことは必ず実行せよ」、「上司に逆らうな」、「先輩に盾突くなんてもってのほか」という具合に各年齢層、それぞれの組織内において、おかしいと思ってもおかしいと言えないように、子供の頃から徹底的に教育するのである。学校の体育の授業で、行進の練習をさせられた人ばかりだと思う。行進の練習は、絶対他の者と同じように動くことを植え付ける教育の一環である。常に皆と同じことをやらせる。少しでも違うことすれば、その者は、その理由を尋ねられ、その考えは間違っとると言われ、考えを矯正される。戦前も戦後も変わらない。学校で行進の練習をさせられるとき、教師に「足をを揃えろ」とか「腕をもっと高く」とか言われた経験があるだろう。なぜ、軍隊でもないのに行進の練習が必要なのか?軍隊では上官からの命令は絶対と言われた。即ち、命令の内容が変な命令でも絶対従えということ。だから、その足掛けとして行進などで、意味不明な命令に従わせ、「絶対命令に従え」の練習をしとるのである。日本の場合、学校で同じことをやっとる。行進の練習のとき、足並みを揃えろとは、周囲におる者と同じ行動をしろという練習。一糸乱れてはならないのである。行進のとき、右の者の右足が上がったら自分も右足を上げなくてはならない。学校での行進を見とると、全員が全く同じ行動をしとる。私もそういう経験がある。腕をもっと高く上げろというのも、意味不明の命令である。そんなに高く上げる必要などない。肩の高さまで上げろとか、細かい指示を出す教師もいた。その指示を出す意味は、明らかに意味不明で、しかも内容が細かくても従えということ。恐ろしすぎる。たかが行進と言うかもしれないが、そのたかが行進になぜそんな細かいことまで拘るのか?心理学に裏打ちされた恐ろしい一貫教育である。


戦前の学校での行進練習

戦後の学校での行進練習

 服装に話を戻すが、当然、服装も同じことが言える。同じ服装を着せたいのである。だから、戦争が終わって何十年経過しても、中学、高校で、制服が消えない。特に公立の学校へ通うのは、日本人ばかりであるから、尚更、制服は続く。制服の色も決まって黒か紺。社会人になっても同じである。スーツの色は黒か紺。しかも、大学4年生が就職活動をするとき、スーツを着て会社説明会や面接に行く。で、そのスーツの色も会社側は採用不採用の判定基準になっとる。紺色のスーツを着とらんとダメなのだ。要は他の人と違う考えを持っとってはダメなのだ。その話は確実に大学4年生に伝わるようになっとる。すると、採用してほしいから、皆紺色のスーツを着て行く。皆、気付いとらんが、普通に考えたらあまりにも不自然な状況である。だが、支配者層の連中は、もちろん、階層があるが、真ん中以上の階層の者は、紺色のスーツは着ない。シルバーとかである。完全に日本人を差別しとるのだ。この支配者層の連中は、チョ〇センから侵入したチ〇ン達である。で、奴等は日本人でないことがバレたら危ないことを知っとる。そりゃ、日本は日本人が圧倒的に多いから。で、奴等は日本人にバレないように国を乗っ取り、乗っ取った後も支配しとることをバレないようにやっとった。給料だって、日本人の給料体系と奴等の給料体系は違う。出世の仕方も違う。大手企業など、日本人は出世していく為には、50段階ぐらいに区分けされた階層を登っていかなくてはならない。少し詳しく書こう。階層が6つか7つぐらい別れとる。例えばAからFまで分かれていたとする。で、その階層それぞれにまた階層が区切られとる。Aの階層の中には、10段階の階層があるのだ。で、Bの階層の中にも10段階の階層がある。で、日本人が一番上まで登るためには、Aの階層の一番したの10から始めて、1まで登らなくてはならない。で、1まで登ったところで、次はようやくBの階層に入れる。でも、やっぱりBの階層の一番下から上へ登ることになる。だから、10年や20年では、管理職に着けない。というか、日本人を管理職に就ける気がないのだ。一方、侵入してきたチ〇ンが、日本人のフリをして入社する。そいつは、そんな50段階もの階層を登ったりはしない。横にスライドしていく。Aの階層にいるとき、次に上がるときは、Bの階層に上がる。で、その次上がるときは、Cの階層に上がる。という具合にあっという間に部長とか役員まで出世していく。そこまで出世できない奴もいる。だが、そういう奴でも、確実に最低でも管理職に就いとる。日本人は、絶対管理職には就けないし、給料も一定以上上がらない。こんなことを言うと、旧帝国大卒や早稲田や慶応の卒の者が上にいるのだから、日本人だと思うと言う人もいるであろう。甘い。そもそも、それらの大学は、ほぼ確実に侵入したチ〇ンたちの子供が通っとる。実は入学試験で0点でもそいつらは合格する。勉強ができなくてもいいのだ。仕事自体やらないし、日本人を管理することしかやらないから。日本人を管理するとは、自分達に逆らいそうな者を見つけ、クビにもっていく。もしくは、様々な方法で虐めて会社を辞めさせる。そして、仕事をするのは、日本人。でも、給料はやつらの半分も貰えない。完全に自分達が支配する体制を作っとるのである。その支配の手段の一つとして、服装もできるだけ目立たない服装を着るようにもっていっとるわけである。現在、そのチ〇ン達の存在に日本人が気付き始め、打ちのめし始めた。良い傾向である。であれば、尚のこと、強制されとる服装をやめた方がよい。自分には、派手な服装は似合わないとか思っていないだろうか?それは、前述した通り、捻じ曲げか洗脳をされとるだけの話である。似合う似合わないは、服の組み合わせなのである。色の組み合わせなのである。例えば、黒い皮のズボンを穿いとったとしよう。で、上着に学生服を着とったらどうであろうか?確実に均整がとれてない。だから、カッコ悪いと思う。そんな恰好をする者などいないと言うであろう。当然である。であれば、着たい服が派手だと思うのであれば、その服に合うように服装全てを整えればいいのである。今日は派手な服だけど、来週は、もう少し落ち着いた服装にしよう。とかするのが普通な気がする。着る服は絶対自分が着たい服を着ればいい。似合わないと勝手に思い込んでもいけない。似合わないと思うのであれば似合うように、上下の服装や靴や髪型など整えればいい。そう、カッコつければいいのである。悪いことではない。逆である。これはいいことなのである。印象も良くなる。カッコいい人を見たら、男であれ女であれ普通は良い印象を受ける。





 さて、上に現在までの日本人の状況を説明した。現在は、敵を駆逐しつつある。それで、カッコいい服装をしてはならないという先入観を皆捨てるべきである。自分はそうではないという者もおるだろう。だが、自分の着とる服装を見てほしい。ホントにカッコいいと思える服装をしとるであろうか。たぶん、目立たないありきたりの服装をしとると思う。また、日本人は日々莫大な仕事をやらされる。と書くと、自分はそうでもないと思う者もおると思う。だが、考えてみてほしい。一か月にやる残業時間はどのぐらい?30時間?40時間?中には100時間と言う者も絶対おる。で、皆思うであろうことは同じである。30時間なら問題ないと。20時間なら問題ないと。20時間なら、大体1日に1時間の残業で20時間になる。1日に1時間ぐらい大したことないと。だが、1時間余分に働くとはどういうことであろうか?そもそも、1日8時間という労働契約になっとる。8時間も働くのである。まる1日やるのである。真剣に8時間仕事をしたら、相当疲れる。だが、日本では、そこから更に仕事をするように強要される。理由がある。仕事の後、遊ぶことをさせないためである。クタクタの状態でどこかへ遊びに行こうなどと誰も考えない。それに残業をやれば、その日にどこかへ行く時間がなくなる。普通、2時間残業したら仕事が終わったところで自宅へ直行したくなるのが当然だと思う。心身共に疲弊しとるからである。土日も同じ。平日に残業をやりまくったら、土日にどこかへ遊びに行く気力が湧いてこないと思う。実際、私がそうだった。すると、どこへも出かけないから、服装もどうでもよくなる。そうなれば尚更、自分のファッション感覚が磨かれることはない。また、疲れとる状態が年中続く。であれば、当然考えなくてはならないことも考えることができない。自分の将来や世の中のこと。その状態が続いた結果、気付いたら40歳ぐらいになっとったということになる。で、自分は一生懸命働いてきたのに全然報われない。なぜだ?という気持ちになる。すると、仕事のやる気も失せていく。そんな状態が続くと、会社におるチ〇ン達はそれに気付く。で、あらゆる方法を使って会社を辞めさせる。結局、独身のまま50歳を迎える人もおる。というか、増加しとる。チ〇ン達は、働かずに大金を盗む。日本人が稼いだお金をあらゆる方法を使って盗むのである。そして、日本人は結婚もできない。できても、子供たちに自分達が子供の頃に親にしてもらったことをしてやることもできない。例えば、自分は私立大学へ通ったが、子供には大学へ行かせるだけのお金がないとか。すると、その親も言い訳をしたくなる。自分達が大学生の頃は学費はそんなに高くなかったと。今の学費であればその当時の自分の親も出せなかったであろうと。だから、仕方がないとなる。それは違う。なぜ学費がそんなに高いのか?そこを考えなくてはならない。今は国立大学ですら昔の私立大学ぐらいの学費であろう。もしくは、もっと高いかもしれない。これもチ〇ンの仕業である。国立大学の学費が上がったのは、税収が減ったからと政治家、役人は言う。確かに税収はその頃より減った。激減した。それでも、莫大な税収があるのは事実。20年~30年前は、税収は100兆円近くあった。それに対して現在の公表されとる額は40兆円である。だが、考えてほしい。40兆円ものお金を何に使うの?道路の建設費?一般道もあれば有料道路もある。そりゃお金がかかるだろう。でも、道路の財源って、別に徴収しとるよね。車を買えば取得税、消費税など諸々取られる。車検のときも車検なんて大したことやらないのに最低でも10万円はかかるよね。毎年、車両重量税なんてのも取られる。挙句、ガソリンの価格の半分以上税金。それだけ取っといてなぜ一般税収を道路に使うわけ?2重課税は法律で否定されとるのだが、この事実は2重課税どころではない。しかも、大学だって国からそれほどお金を貰っとるわけではない。それどころか、国が民間企業と提携して共同で技術開発をしてお金を稼げる仕組みに10年以上前にした。それなのに、なぜ学費が上がる?お金をそれほど持ってない人でも通えるようにと思ってそれぞれの県に最低一つ国立大学を過去に作った。それなのに、現在、国立大学に行けるのは、お金を盗んで大金を手ににしたチ〇ンだけである。当然、役人もチ〇ンばかり。言いたいのは、こういった事実に絶対気付けないような状況に日本人を陥れることをやり続けとる。とうとう、日本人がこのことに気付き始めて、インベーダーのチ〇ンと闘い始めた。であれば、自分で気付いたところ、しかも、自分の将来に直結するようなところは、サッサと修正した方がよい。そう、服装である。好きな服装をしてカッコ付けよう。そして、好きな相手を探そう。重要なことである。一番大切なことかもしれない。

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