ADAGIO MISTERIOSO

著作権について


瑞相記(エッセイ)

CDに将来はあるのか?

ヴァイオリンを始めた Yeah!

逆境を乗り越え続けた作曲家


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June/08/2019

CDに将来はあるのか?

 タイトル通りCDに将来があるのか考えてみたいと思います。最近、知ったのですが、アメリカではストリーミング配信による音楽再生が主流ということです。もう、ビックリです。音楽ファイルをダウンロードして再生するという流れすら、まだまだ主流にはなれないのでは?と勝手に勘違いをしていました。何故なら、mp3ファイルであれば音質は劣化しますから。劣化した状態の音楽ファイルを聴いて満足するのか、それともCDを購入して、パソコンなどにWAVファイルとして取り込んでから劣化なしで聴くか、どちらが良いかというと、後者だと思い込んでいました。が、そうではないようですね。実際、劣化と言っても、なかなか良い音で鳴りますから。パソコンに取り込むとき、ファイルサイズが大きいWAVファイルではなく、mp3を選択するのも当然なのかもしれません。さらには、ファイルのコピーが簡単に出来てしまうため、著作権の問題がちょくちょく問題になってました。
 そこで登場したのが、ストリーミング配信という方法。これであれば、パソコンでもスマホでも聴きたいときに聴けます。月額制ですが。そもそも、自宅にCDプレイヤーを持っている人の方が既に少ないのだとか。確かに私もCDプレイヤーが壊れた後は買ってません。パソコンで聴いてます。それどころか、音楽を聴く主流はスマホなんだとか。私も持ってますが、Bluetoothのスピーカー(アンプ内蔵)があれば、後はスマホで再生させれば鳴りますから。音楽を聴く方法が大きく変わってきていたんですね。気付きませんでした。高音質の音楽プレイヤーを作ろうと色々やってきましたが、方向性を変えなくてはならないようです。
 それは置いといて、CDに未来は全くないのでしょうか?レコードのような存在になっていくのかもしれません。もうなっているかもしれない。何やら不思議な気がします。音楽を聴かないときもお金を支払うのでしょうか?その代わり安いんでしょうね。車の中で聴くときもスマホに接続するのでしょうか?時代の流れに乗り遅れているのでしょうか?CDを買えば手元に残りますけど、何も残らなくていいのでしょうか?音楽を聴き始めたとき、mp3ファイルをダウンロードして聴いていた世代は何の抵抗もないのでしょうね。結局、私もCDを買わなくなっていくような気もしてます。何とも寂しい気がします。が、進歩は止まりません。それに乗っかるしかないです。
 となると、ミュージックプレイヤー制作は仕切り直さなくてはならなくなりました。ストリーミング配信でも高解像度にできるものを作りたいと思います。どうやって作ればいいのでしょうかね。考えよう。
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April/16/2019

ヴァイオリンを始めた Yeah!

 ヴァイオリンを買った。約2週間ほど前。イーストマン。クロサワ楽器のオンラインで購入。
violin

violin
 把手の部分には何故かクッションが巻いてある。まだ、外してない。

 YouTubeの独学ヴァイオリン講座のとおりに練習を進めている。その独学講座は、TheMioQというチャンネルでして、アメリカの人が日本語で説明してくれています。 分かりやすい日本語です。で、まず、指で押さえる弦の位置にテープを貼り付けて目安にするということで、購入してすぐ貼り付けました。キレイに剥がせるようにテープではなく、 ポストイットを使いました。こんな感じです。
violin
 できればテープとかは貼りたくなかった。というのも、何やらカッコ悪い。それだけ。しかし、初心者にとって、このテープはたいへんな効力を発揮する。このテープが無くては、 指の正確な位置が全く分からない。チューニングもiPhoneのアプリを使って初めてできる。毎日練習をして、YouTubeのMioさんの動画のとおりに順調に進んでいる。 かのように思えた。途中ヴァイオリンの構え方や弓の持ち方で苦戦しつつも。因みに、この講座は24回に分かれている。現在、第22回まで到達。しかし、スケール(音階)の 練習で大苦戦。スケールの練習とは、いわゆる、音階”ドレミファソラシド”を順に弾いていくというもの。これが、うまく弾けない。左手の指が動画のとおりに動かないのだ。 そこで、Mioさんだけではなく、色々な先生の動画を拝見。すると、アドヴァイスも様々。そういうことか!と納得しつつも弾いてみて、”やっぱりダメか”の繰り返し。 Mioさんは、第22回で指が正確な位置を押さえることができなくては次のレッスンに行ってはダメだと言っている。何故なら、次のレッスンでテープを剥がすというのだ。さすがに、それはまだ無理。 で、指が正確な弦の位置を押さえられるように、毎日、大勢の先生の動画を見て、ひたすら練習中。すると、左手首の使い方とかが分かってきた。が、しかし、再び難問が降りかかってきた。弾いていると、 弓が弦の上を軽くバウンドするのだ。それもまた、他の先生の教えを受けた。色々試しているが、なかなか治らない。うまく行っても、なぜ上手く行ったのか分からなかったりするから、 またすぐに、バウンドする。バウンドというか、震えるというか、プルプルするというか。今のところ、そんな感じである。

 でも、まあ、そんな簡単に上手く弾けるようになるはずがないので、気長に 行くしかない。しかし、気長に行くというのが、私は苦手だ。すぐ根詰めるクセがある。でも、今回はできる限り根詰めないようにやっている。そのほうが、面白く練習できることも分かった。 試行錯誤しながら練習するのも面白い。うん。
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November/09/2018

逆境を乗り越え続けた作曲家


 逆境を乗り越え、素晴らしい曲を作曲した作曲家は大勢いる。だが、中でも特にキツイ状況を突破し、しかも、凄い曲を作曲し続けた人というと、この二人が思い浮かぶ。

ベートーヴェンとマーラーである。

 この二人の様々な足跡を知れば知るほど、感嘆するしかない。ベートーヴェンは、ご存知の通り耳が聞こえなくなった。音楽を生業にしているにも関わらず。絶望したのは、遺書を書いた ことでよく分かる。だが、ベートーヴェンの心が折れることは結局なかった。以前、読んだ書物か何かでベートーヴェンの遺書を解析した人がいた。その人が言うには、ベートーヴェンの遺書は、 遺書ではないと。それは、文章の途中から決意表明に変化していっていると。少年時代のベートーヴェンもそうだが、常にポジティブな人だったのだと思う。諦めるという言葉は、ベートーヴェンには、 なかった。曲を聴いてもそれは分かる。昔から思っていたことなのだが、若き頃の曲と中期と晩年で、曲が全く違う。常に新しい試みに果敢にチャレンジして、且つ成功を収めてきている。 妥協もしない人だということも分かる。チャレンジした曲にも、隙は全くないと私は思う。最晩年に作曲した弦楽四重奏曲など、信じられないほどの前衛的な曲である。理解できたとき、 ベートーヴェンの凄さを改めて実感した。ベートーヴェンの生きた時代も波乱な時代であった。産業革命やフランス革命からの一連の激動の時代である。しかし、ベートーヴェンを支援していた 人達も大勢いた。その時代の関係上、支援者が一気に減少してしまったこともあった。だが、ベートーヴェンの心が折れることはなく、前述の通り、素晴らしい曲を生涯に渡って書き続けた。 だからこそなのか、ベートーヴェンの曲は聴く人を勇気付ける。


 グスタフ・マーラー。この作曲家も強烈な逆境から上昇し続けた人である。自身が語っていたように、人種や生まれた地域による偏見があった時代であるから、ユダヤ人であることやボヘミアの 出身ということが大きなハンデになっていた。だから、「自分の人生は上手くいかない」というようなことを言っていたのである。だが、実際はどうであろうか?凄まじいスピードで出世した人である。 ハンデなど物ともしなかったように思える。彼は、最初指揮者として大成した。当然、作曲もしていたであろう。あっという間にウィーンの国立歌劇場のトップに立ってしまった。あっという間と言っても、 数年などという訳ではないが。しかも、ウィーンフィルと共に世界中をツアーしている。パリだったかニューヨークだったか忘れてしまったが、マーラーの指揮したベルリオーズの幻想交響曲の 反響を物語る新聞記事が今でも残っている。激烈だったらしい。世界が認めるマエストロだったことが分かるのが、ニューヨークでの活動である。思うに、メトロポリタンやニューヨークフィルの 過去の常任指揮者の顔ぶれを見ても分かるように、強烈な何かを持っている人ばかりであるから。しかもアメリカでは、ボヘミアとかユダヤ人とかの偏見は既に持ってなかったと思う。何故なら、ドヴォルザークも 音楽院のトップとして破格の待遇で招聘されていたから。実力主義なのがよく分かる。そう、指揮者ということだけをとっても凄い人である。だが、マーラーは作曲家としても大曲を生み出し続けた。マーラーの 曲もベートーヴェンと同じく、若き頃、中期、晩年で印象が全く違う。マーラーの曲ということは分かるのだが、より難解で前衛的になっていっている。マーラーの後期の曲を理解できたとき、 その凄さにやっぱり感嘆した。私は、まだ十分理解しきれてはいないと思う。もう一つ、マーラーの凄いところ。マーラーは交響曲を9つと未完の1曲を残してくれた。大抵の作曲家は、初期の 曲、交響曲第1番となると、自身の才能の片鱗は見せても、まだ開花していない。もちろん、ブラームスのような例外もあるが、ブラームスは第1番を20年掛けて作曲しているから、少し違う。 もちろん、ブラームスを否定しているのではなく、ブラームスは納得がいかなかっただけなのだろう。マーラーの1番では、才能の片鱗どころか、開花している。続く2番は、ご存知の通り、超大作の 名曲である。スタートの時点でハイレベル。ベルリオーズも初期に幻想交響曲という前衛的で凄い曲を書いたのが、その後の曲が幻想交響曲を超えたとは言えない。マーラーは、 進化を止めず、どんどん進化していく。曲もやはり、超ポジティブな印象を受ける曲ばかりである。ベートーヴェンと同じく感動と勇気を与えてくれる。気合が入るのだ。勢いが付く。

追記:マーラー及びバーンスタインに関する記述は無視してください。こいつらは、偽物だと判明したので。マーラーの作曲と言われているものすべて別人が作曲したことが分かってきました。そもそも、マーラーは作曲したことがないという。更に言うと、亡き子をしのぶ歌という曲がある。あれも後世のバーンスタインが、マーラーが作曲したと言い出した。とある有名な作曲家の曲の歌詞を勝手にバーンスタインが変更し、「亡き子を偲ぶ歌」と題したのである。亡き子って言うのは一体誰の子のこと?マーラーの二人の幼い女の子なんだろ?その若さでなぜ亡くなったの?特に病気とかじゃないよね。突然、二人とも急逝しとるんだけど。なぜ?まさか!? た......?あんたならあり得るよね。それから、オルフって誰?そんな作曲家ずっーと誰も知らなかったけど。あんたじゃないの?恐ろしすぎるんだよ、あんた!なぜあんたベートーヴェンの曲が得意なんて言ったの?あんたが言ってはいけない言葉だと思うよ。
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