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Franz Peter Schubert
フランツ・ペーター・シューベルト

 シューベルトについて少し思うところを書こうと思います。CDレビューを読みたい方は、ここを読み飛ばしてください。各曲へのリンクが下にあります。そのリンク先に聴いたCDの感想を書き留めていますから、そちらに移動してください。

 早逝してしまったシューベルトのことを思うと胸が熱くなる。類稀なる才能を持ちながら、作曲の手腕も評価されながらも不運にまとわりつかれた。シューベルトの才能を認めたのは、彼の同窓生であろう。シューベルトは17歳までウィーン少年合唱団の前身である組織に入っていた。そこでは寄宿舎に身を寄せながら音楽教育を受けていた。当然、同窓生がいる。その同窓生たちはシューベルトの才能を目の当たりにするのだから才能に気付くに決まっている。その後少年合唱団を去ってからも、サリエリに師事する。その元で10代にも関わらず交響曲を続けて作曲していく。驚嘆せずにいられない。
 最初、シューベルトは教師の職に就いたが、友人の勧めもあり、すぐに辞め作曲に専念するようになる。それから先、不安定なボヘミアンの生活をすることになる。友人宅にて生活し、食料や五線紙の寄付を得ながら、作曲を続ける。なかなかに辛い状況である。だが、彼の才能を理解している友人たちがシューベルティアーデという小規模のサロンコンサートを開催し曲を披露する場は設けられていた。だが、仲間内だけのものだけにシューベルトの才能を世に知らしめることにはならなかった。
 このエピソードもシューベルトの人柄を物語っている。シューベルトの友人だから皆若い。だから、自己資金も少ない。それでもシューベルトのためにサロンコンサートを開催するなど支援をし続けた。また、自分の父に対してもなかなか本心を言えないほど。シューベルトのエピソードを知る度に奥ゆかしく優しい性格の持ち主なのだといつも思う。

シューベルト

 シューベルトは、20代で辛い病魔に侵される。病名は色々言われているが、じわじわと浸透する悪質な病魔であったことは間違いないと思われる。というのもシューベルトの作品は、20歳前後の頃とそれ以降では楽想が随分と違う。もちろん、シューベルトは、猛烈なスピードで成長はしている。だが、あまりにも死を暗示する悲劇的な曲が多い。しかも悲劇性がだんだん絶望に変化していく。こういった楽想は、シューベルトを蝕んでいった病魔と無関係とは思えない。また、他の作曲家では到底20代では到達しえない達観したような悟ったような楽想の曲を作曲している。これも、病魔と闘ううちに獲得したシューベルト独特の楽想であろう。ただ、誤解してはいけないのは、病魔のお陰でそのような曲を作曲できたわけではないということ。シューベルトだからこそ作曲できたのだ。シューベルト以外にシューベルトの曲は書けないのだから。健康であったとしても、いずれシューベルトが到達しえた領域であろう。ただ成長がより早まっただけだと思う。

 最後にシューベルトの生き様について少し書きたい。前述のとおり類稀なる才能を持ちながら、不運と闘い、病魔と闘い、貧困とも闘い、作曲を続けた。シューベルトの曲を聴くと、闘うイメージは感じ取れないかもしれない。確かに、彼の残した曲は聴く人の心を安らげる。だが、中には弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」のように、勝ち目はなくとも闘い続ける曲もある。また、中には交響曲第9番「グレイト」のように思慮深く闘いながら最後は勝利を高らかに歌う曲もある。思慮深く優しいシューベルトは、人知れず心の内で闘い続けていたと私は考える。辛さを隠し、闘っていることも隠す。強靭な精神力である。この生き様、真似できるものではない。確かに彼は病魔に倒れた。が、彼が残した曲は、何百年に亘り愛され続けてきた。それが意味することは、最後に勝利を掴んだということ。空前絶後の大勝利と言っても過言ではない。そして、これからもシューベルトの曲は聴き継がれていく。間違いなく。私も聴き続けていく。彼がベートーヴェンを尊敬していたのは曲から闘う精神性を感じ取っていたからではなかろうか。


曲目解説&名盤紹介(お薦めの名盤など)


交響曲第8番ロ短調「未完成」
交響曲第9番ハ長調「グレイト」

ピアノ・ソナタ第16番イ短調D845
ピアノ・ソナタ第17番ニ長調D850
ピアノ・ソナタ第18番ト長調D894「幻想」
ピアノ・ソナタ第19番ハ短調D958
ピアノ・ソナタ第20番イ長調D959
ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960

弦楽四重奏曲第14番ニ短調「死と乙女」
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