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WOLFGANG AMADEUS MOZART
ウォルフガング.アマデウス.モーツァルト

 物理学者のアインシュタインは、死に際して、「何が悲しいかと言うと、モーツァルトの曲を聴けなくなるのが悲しい」と語った。クラシックを聴いとると、最初に虜になるのは、大抵ベートーヴェンの曲であろう。その次に、ロマン派のシューベルトやメンデルスゾーン、シューマンなどと続いていき、更には後期ロマン派のブラームス、ブルックナーなどと続いて聴いていく。だから、モーツァルトやハイドン、更に遡るとバッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディといった作曲家の曲はあまり聴かない人もいると思う。実際、私がそうだった。後期ロマン派の曲を聴くとかなり大規模な曲が多く、編成の小規模な作品が多いモーツァルト以前の曲は素晴らしい曲と分かっていても敬遠しがちになってしまう。やはり、大規模な曲を聴くとその壮大な音に圧倒され、そういった曲が好きになる。すると、小規模の曲をどうしても敬遠してしまう。ところが、クラシックを更に聴いていくと、弦楽四重奏曲の魅力に気付く。弦楽四重奏曲を創造したのはハイドンだが、やはり金字塔と言われるベートーヴェンの16曲の弦楽四重奏曲にのめり込む。弦楽四重奏曲は多くの作曲家が名曲をたくさん残している。で、創始者のハイドンの曲を聴くとその凄さにびっくりする。そして、ハイドンの次はやはりモーツァルトはどうだろう?と思い、手を伸ばす。そこで、モーツァルトの実力のほどを少し垣間見ることができる。実は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番の大フーガ以前にモーツァルトは、弦楽四重奏曲第19番「不協和音」で、現代音楽の主流となっている無調音楽などで聴かれる不協和音の曲を作曲している。だが、シェーンベルクやベルクが作曲したような、聴いていて苦痛になる曲ではない。モーツァルトのは、不協和ではあるが、しっかりと音楽が進行していく。ベートーヴェンの大フーガは、たぶん、聴く者を苦しませようというベートーヴェンの思惑が見え隠れする。だからこそ、後にベートーヴェンは、第13番の終楽章に配置した大フーガを別の曲と入れ替えた。もちろん、これは私の勝手な解釈ではあるが、かなり自信がある。詳しくはベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番のページを読んでもらいたい。シェーンベルクやベルクに至っては、どう考えても音楽を作ろうとしたとは思えない。聴く者を苦しませるのが狙いであろう。シェーンベルクやベルクの時代のウィーンは、元々悪党が蔓延っている地域であったが、それに輪を掛けて酷い状況になっていた。実際、上流社会は、ロマの巣窟と化していた。だから、作曲家達は常に奴等から酷い仕打ちや要望を聞かざるを得ない時代であった。だからこそ、彼らは無調音楽を創始して反撃したのではあるまいか。シェーンベルクは、ブラームスの弦楽四重奏曲第1番のオーケストラ版を編曲している。実に素晴らしい編曲で名曲である。たぶん、シェーンベルクは、ブラームスはその曲を交響曲として作曲したかったが、嫌がらせで弦楽四重奏曲に変更させられたと考え、それなら俺が交響曲にしてやろうと編曲した気がするのである。話が逸れた。モーツァルトもそういった思惑があった可能性は非常に高いが、曲自体は素晴らしい内容である。しかも、モーツァルトの作品にもレクイエムのような空前絶後の大規模作品がある。後の作曲家で満を持してレクイエムを作曲する者が結構いるが、それは、モーツァルトのレクイエムの凄さに触れたからこそ、自分もレクイエムに挑戦してやろうという作曲家達である。それほどモーツァルトの影響力は遠い後世にまで及んでいる。しかも、モーツァルトは、多くのジャンルで多くの曲を残しているが、やはり、必ず名曲が存在する。聴けば分かるが、モーツァルトの前にも後にも同じような曲は存在しない。似た曲を作曲できるだろうが、そんな曲を作れば即バレる。それほど、モーツァルトの曲は誰が聴いてもモーツァルトと認識できるほどに強い特徴がある。

モーツァルト

 さて、モーツァルトは天才と言われる。子供にして凄い音楽の才を見せ神童と呼ばれた。そういう人物は大抵大人になったとき、伸び悩んだりする。理由はよく分からないが、そういう傾向がある。だが、モーツァルトは文字通り神童であった。モーツァルトの音楽の発展スピードは終生減速しなかった。モーツァルト自身、様々な嫌がらせや攻撃を繰り返し受けたが、戦い常に前進を続けた。一方でモーツァルトを最大の力で庇護した人もいた。言わずと知れたオーストリア帝国の女帝マリア.テレジアである。彼女は、モーツァルトが子供の頃から、自分の子供のように接し教育し支援した。彼女の存在は極めて大きかったであろう。さらに言うと、モーツァルトの実子をもマリア.テレジアは終生助け続けた。だが、彼女は国のトップではあったが、如何せんオーストリアは、ドイツ同様危険なロマがウジャウジャいる。当然、国の上層部にもウジャウジャいた。その為、彼女はそいつらの存在に気付いてから、そいつらと戦い、傷ついた。孤独であったからだ。彼女の味方のように振る舞いながら敵ということをやつらはやる。そんなやつらと戦いながらモーツァルトを守ることをやった。もちろん、敵ばかりであったから、傷つけられたりするのだが、負けることはなかった。そして、オーストリア帝国は彼女の時代に最盛期を迎え、彼女がいなくなるのと同時に急速に衰退した。彼女がオーストリア帝国を去った後、モーツァルトは一人戦い続けた。だが、当然味方もいた。名だたる作曲家達はモーツァルトの味方であった。ハイドンなどそうである。その時、面会したことはなかったかもしれないが、ベートーヴェンも一番尊敬しとったのはモーツァルトである。ベートーヴェンの初期の曲を聴くとモーツァルトからの多大な影響を垣間見ることができる。ベートーヴェン以降の作曲家はベートーヴェンの曲を乗り越えようともがき苦しんだ。考えてみると、ベートーヴェンもそうだったと思える。前述のとおり初期のベートーヴェンの曲はモーツァルトを思わせる楽想に溢れとる。作曲をしようと思うと、どうしても好きな音楽を作るに決まっとる。ということは、尊敬するモーツァルトの曲のようになってしまって当然なのである。もちろん、本人はモーツァルトの真似はイヤなのだ。だが、どうしても似てしまう。似せないようにしようとすると、新たな楽想をもった曲を考えなくてはならない。即ちオリジナリティに溢れ、モーツァルトの曲に引けを取らない、そういった曲。だからこそ、ベートーヴェンもその境地に至るまで考え抜いたであろう。結局、交響曲第3番「英雄」のとき、その壁を突破したと思う。34歳であった。比較するわけではないが、モーツァルトは終生、そういった経験をしたと思えない。作曲した曲の数やオリジナリティ溢れる曲たちを聴くとモーツァルトは他の作曲家達と同様に苦悩したのだろうか?と疑問が湧いてくる。言ってしまうと、モーツァルトは難解なことをサラっとやってのける人なのであろう。曲自体も大きな起伏をさらに誇張し拡大するという手法をとっていない。大きな起伏はあるのだが、誇張することなくさらっと通り過ぎていく。聴いとると、もっと装飾したり大仰にした方が凄い曲になるのではと思ったりするほど。モーツァルトは、アイデアが次々と溢れてくるのであろう。だから、そういったアイデアを惜しげもなく次々と繰り出してくる。だから、感動しとるその瞬間に次の感動が襲ってきたりする。次々に覆いかぶさるようとでも言おうか。カラヤンの解釈もそういったところがあった。サラっとやりつつ、惜しげもなく凄い解釈を連発し聴衆を感動の渦に引きずり込む。今現在でも、ベルリンフィルの話になると、必ずカラヤンの話題が出てくる。そして、結局、後のベルリンフィルの指揮者は誰もカラヤンには敵わないとなる。モーツァルトはそのような人なのである。

 

CD感想(お薦めの名盤など)


交響曲第25番ト短調K.183
交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」
交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」
交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」
交響曲第39番変ホ長調K.543
交響曲第40番ト短調K.550
交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551

ピアノ協奏曲第19番ヘ長調K.459
ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466
ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488

ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.519「トルコ風」

レクイエムニ短調K.626

セレナード第13番ト長調K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
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