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Peter Ilyich Tchaikovsky
チャイコフスキー

曲目解説&名盤紹介

交響曲第4番ヘ短調

曲目解説

 チャイコフスキーがこの交響曲に詰め込んだものは多い。それは楽想に様々な感情が入り乱れているから。チャイコフスキーは、この交響曲作曲中に様々なことを経験している。情熱的な恋愛、スピード結婚、破局・離婚、絶大な支援、ヨーロッパへの大旅行。そして、この曲はチャイコフスキー自身がパトロンのフォン・メック夫人への手紙に記したように、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の構成を模範としている。「苦悩から歓喜へ」というストーリー展開のことである。確かに、この交響曲は、第1楽章で苦悩し、第2楽章で憂鬱になり、第3楽章で静かに飛躍のときを待ち、第4楽章で大きく羽ばたいて上昇している。だが、これはベートーヴェンのように苦悩し歓喜へ至るという経験をし、それを曲に込めたわけではない。あくまで、ベートーヴェンの交響曲第5番の構成を真似ただけであり、表面上の話なのだ。実際に、メック夫人への手紙の中で、音符を使い、このメロディーは運命のなんちゃらといった具合に解説をしている。しかし、最後に、解説した内容は曖昧で不適切と書いている。そして、曲の完成年の前年での出来事から生じた感情が表現されているとチャイコフスキーは書いている。要は、不適切というのは、ベートーヴェンの交響曲第5番の構成のみを採用したのであって、曲で表現した内容は違うということであろう。そこで、チャイコフスキーがこの曲に詰め込んだものを順に見ていこう。

第1楽章
 冒頭、金管のファンファーレで始まる。この旋律は第4楽章にも登場する。表面上はベートーヴェンの運命の動機のようなものである。その後、すぐに憂鬱で悲しさに満ちた旋律になる。しかし、この旋律、恐ろしいほど美しくなったりゴージャスになったりもする。荒れ狂ったりもする。また、落ち着いた状態にすらなる。楽しくもなる。この旋律を使いチャイコフスキーは、その当時の感情をこれでもかと表現する。チャイコフスキーの作曲手腕がどれほど凄いかがよく分かる。この第1楽章に全てを詰め込んだと思わずにはいられないほどの素晴らしい曲である。息が抜けない。終結部ではハラハラドキドキする緊迫感を醸しつつ極大の感動的なラストに引きずり込まれる。第1楽章はこの交響曲の核である。この楽章を聴いた後、後続の楽章が見劣りする。それほど、素晴らしい。



第2楽章
 この楽章もチャイコフスキーの詩情溢れる旋律が聴ける。しかし、第1楽章とは違い、チャイコフスキーの感情に変化はない。ひたすら悲しい旋律が歌われる。ここでも第1楽章での運命の動機に相当するものは現れる。悲しく美しい旋律として。ホントにチャイコフスキーのメロディーセンスには脱帽である。チャイコフスキーにとったら、ブラームスに限らず、どの作曲家の曲も詩情が薄いとなったであろう。

第3楽章
 ほとんどが弦楽器のピッツィカートで奏される珍しい曲である。この曲は、前述したとおり、高い跳躍というか飛躍を待っているような感覚になる。湖の淵で天に昇るときを今か今かと待っている臥竜のようと書くと言い過ぎではあるが、次の楽章での爆発を予感させる。

第4楽章
 大爆発。これを爆発と言わずしてなんというのか?これは、最後に勝利を掴んでいるのではなく、イタリア旅行のとき経験した盛大なお祭りを表現している。チャイコフスキーは、その時、経験したことのない盛大なお祭りをイタリアで体験したらしい。ド迫力。どんなお祭りだったのかは分からないが、大砲でもぶっ放したような迫力である。重厚で疾走感があり、ぐいぐい聴く者の気分を上へ上へと上昇させる。この楽章でも運命の動機は登場するが、お祭りの賑わいに同化する。そして、曲は終結部に向けてどんどん盛り上がっていく。ここでは、チャイコフスキーらしい詩情に満ちた楽想と、さらには勢いのあるオーケストレーションで聴く者に高揚感をもたらす。否応なく気合いを入れられる曲である。



 チャイコフスキーは、この曲をイタリアで完成させ、パトロンのメック夫人に献呈した。メック夫人と文通でのやりとりを相当行ったのだが、終生本人に会うことはなかった。それは、チャイコフスキーはホモだったからという人もいる。チャイコフスキーの自筆譜を見ると、恐ろしく綺麗に音符が書かれていてホモを物語るだとか、チャイコフスキーは慈善活動のとき、男の子に手を出したとか、言う人がいる。まず、音符を楽譜に綺麗に書いたらホモなのだろうか?私は高校生の頃、ノートを綺麗に書くようにしていた。それは、後で自分が読み返すから綺麗に書いていた。楽譜だって必ず自分も読むし、第3者も読む。だから、綺麗に書く。それは、普通に考えたら心遣いではなかろうか。男の子に手を出したという話も出所がハッキリしない。ホモなら、そもそも結婚する必要などない。しかもスピード婚なのだから、情熱的な恋愛だったと私は思う。だが、破局してしまった。そりゃ、大きな傷を心に負ったであろう。女性不振に陥ったのかもしれない。であれば、メック夫人に会うことができなかったということも理解できる。結婚を偽装結婚という人もいる。偽装する必要がどこにあるのか?同時代の作曲家ブラームスは生涯独身だった。偽装結婚などする必要などどこにもない。そして、私の中で決定的なのは、この交響曲第4番である。このようなド迫力、前述のとおり大砲をぶっ放したような直線的なド迫力の曲をホモは作曲したいと思うのだろうか?そして、作曲できるのだろうか?私はホモの気持ちは分からないが、ホモというとナヨナヨした印象があり、男らしさがないというイメージが先行する。とすると、このような曲は作曲できないのではと思うのだ。他にも、このようにド迫力の曲をチャイコフスキーは作曲している。どうでもいい話かもしれないが、チャイコフスキーはノーマルだったと私は信じている。そして、交響曲第4番は傑作中の傑作である。

名盤紹介

カラヤン/VPO お薦め度:S+
ロジェストヴェンスキー/BBC響(Live) お薦め度:S+

カラヤン/VPO

カラヤン

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
レコーディング:1984年9月
場所:ムジークフェラインザール

 チャイコフスキーの交響曲第4番は、第3番までの曲とは大きく違い、チャイコフスキーの内に秘めていたものが一気に解き放たれたような、何倍にも成長したチャイコフスキーが聴ける。カラヤンは、世代交代して若返ったばかりのウィーンフィルをフェラーリを操るようにドライヴする。この曲は、チャイコフスキーらしくサウンドは絢爛豪華である。楽想はそうではないが。分厚いサウンドだからこそオーケストラの各楽器も鳴りまくる。そのような大音量&大迫力な曲をカラヤンは自在にドライヴする。ウィーンフィルも気が抜けなかったであろう。緊迫感が伝わってくる。

カラヤン

 第1楽章から緊迫感が張り詰めている。弦楽器と管楽器が相争って掛け合いながら主張を続ける。まるで協奏曲である。第1楽章コーダは、圧巻。うなりを上げるヴァイオリンから始まり、キレのある金管の咆哮とティンパニの強烈な打撃が心臓に突き刺さる。劇的な幕である。第1楽章を聴いただけで満足するほどの超絶演奏である。第2楽章は想像ではあるが、ロシアの辛く寂しく冷たい冬のよう。第3楽章は、次の楽章での爆発を予感させるかの如く疾風のように駆け抜ける。第4楽章は、オケ全体が凄まじいうなりを上げ、コーダまで怒涛の進撃をする。これ以上の演奏はそうそう聴けるものではない。
お薦め度:S+
(April.21.2020)
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ロジェストヴェンスキー/BBC響(Live)

ロジェストヴェンスキー

指揮:ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー
管弦楽:BBC交響楽団
レコーディング:1979年6月1日
場所:リーズ・タウン・ホール(Live)

 ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー。この指揮者に初めて接したのは、ショスタコーヴィチの交響曲第10番。ソヴィエト文化省国立交響楽団という、なんとも厳めしい 名称のオーケストラを指揮しての演奏だった。その当時、初めて聴く曲だったが、凄い迫力に圧倒された。一発でこの指揮者を好きになった。だが、他のCDはなぜか、 買ってなかった。だが、昨年、ずっと気になっていたこのBBC響との’79ライヴをとうとう買った。最初、この曲はショルティ&シカゴ響で聴いた。その迫力の虜になり特に 第4楽章が好きであった。その後、カラヤン&ウィーンフィルの演奏で、この曲の醍醐味に気付かせてもらった。それ以降、カラヤン&ウィーンフィルばかり聴いていた。 これを超える演奏はないのでは?と思っていたが、ネットでロジェストヴェンスキー&BBC響のライヴが凄いと各サイトで見かけるにつれ、ロジェストヴェンスキーの4番を 想像してみたりした。相当凄いことは容易に想像できる。だが、ハッキリとは思い浮かばない。だからというわけではないが、気になって仕方なかった。
 本題。何というか、思いもよらぬ解釈が随所で聴ける。想像以上。ド迫力。チャイコフスキーの4番は、技術・迫力・芸術性において、ヘビー級である。だが、 ロジェストヴェンスキーとBBC響は、この曲を排気量6000ccのスポーツカーでもドライヴするように演奏する。見ていてではなく、聴いていてハラハラする。言うなれば、 そのスピードでコーナーに突っ込んでいったらクラッシュすると思っていても、華麗なドライヴィングテクニックで次々に難所をパスしていく。ロジェストヴェンスキーは、オケに 技術的にかなり無理難題を要求していると思う。だが、たぶん、その解釈が凄く、しかも納得でき、演奏したくなるのであろう。BBC響も難なくこなす。先述したが、もう一度。 ド迫力。迫力と言っても、大音量の部分だけではない。弱音部でも、どこでも、歌うような演奏。それでいてキリリと引き締まっている。このライヴに行かれた方の大興奮 も収録されている。もちろん、終演後の大歓声。ロジェストヴェンスキーとBBC響のドライヴィングテクニック、芸術性、最高!こんな凄い演奏は、まず聴けない。 お薦め度:S+
(August.19.2018)
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