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Anton Bruckner
ブルックナー

CD感想

交響曲第8番ハ短調

名盤紹介

カラヤン/VPO お薦め度:S
ティントナー/アイルランド国立響 お薦め度:S+

カラヤン/VPO

カラヤン

第2稿 ハース版
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
レコーディング:1988年11月(Live)
場所:ウィーン、ムジークフェラインザール

 カラヤンは膨大にセッション録音を行った。だから、カラヤンに対する印象はどうしてもセッション録音での印象が強くなってしまう。しかし、実のところカラヤンのコンサートは、エネルギッシュである。ライヴレコーディングを聴くとその多くが、熱い気迫の籠った演奏となっている。バーンスタインの場合は、セッション録音でも熱い気迫が感じられるが、カラヤンの場合、セッション録音の演奏は、極めて落ち着いていてクールである。このギャップは大きい。一方はクール、一方は熱いのだから。

 そして、このブルックナーの交響曲第8番である。この曲自体が凄まじいエネルギーを放出する。ベルリンフィルとのクールな演奏もそれはそれでいい。だが、このウィーンフィルとのライヴは、曲自体が持つエネルギーとカラヤンの気迫と若返りをしたときのウィーンフィルの気迫、この3つが重なり強烈な内容となっている。この当時のウィーンフィルはカラヤンに我々をベルリンフィルのように育てて欲しいという依頼をし、カラヤンは了解した。もちろん、ウィーンフィルはベルリンフィルになりたかったわけではない。ウィーンフィルはウィーンフィルである。要はベルリンフィルに行った指導をウィーンフィルにもして欲しいという依頼である。そして、育てながらレコーディングも始めた。このCDはそんなときの一枚である。この時期にレコーディングされたものは、他にブルックナーの交響曲第7番(Live)とチャイコフスキーの後期交響曲がある。チャイコフスキーの方はセッション録音だが、4番は凄い気迫を感じる。

 この演奏では劇的に演奏されるブルックナーが聴ける。ブルックナーで劇的に演奏するのは、似合わないと思うであろうが、そうではない。私の語彙力不足により説明の仕方が他に思い付かないだけなのだ。大オーケストラを自在にドライヴし圧倒的な迫力を引き出す。一方、第3楽章アダージョでは、チェリビダッケとは対極を為し颯爽と演奏される。深く沈潜した美しさではない。圧倒される美しさである。ブルックナーのアダージョはブルックナーの信仰心だとか言われたりするが、カラヤンはたぶん、そうは思ってはいない。ブルックナーが込めた思いを最大限引き出し、これでもかとアダージョの美しさに磨きをかける。美しくも熱い演奏である。ここでいう熱さとは、カラヤンの曲に対する情熱のことを言っている。まるで、カラヤンがブルックナーに「あなたの思いはこうだろ」と言わんばかりの演奏である。このような美しさをこの曲から引き出せる指揮者はカラヤンしかいまい。

カラヤン

 そして、圧巻の第4楽章。冒頭の強烈な打撃の後にくる美しい旋律がカラヤンにかかると、アダージョ同様美しさに磨きがかかる。よくブルックナーの交響曲を無骨と表現する人がいるが、この演奏を聴いたらそれは言えまい。さらに言うと私にはブルックナーの曲が洗練されていないとは到底思えない。ブルックナーの曲の美しさはこの世と隔絶した美しさであり、極めて清らかである。これは洗練どころではない。洗礼された美しさと言える。無骨の対極である。また、ド迫力の箇所でも、カラヤン特有のドライヴ感がある。しかし、残念なところもある。致し方ないのだが、ウィーンフィルが若さゆえか、カラヤンの解釈に着いていけてないと思う箇所が所々ある。特に迫力が増す箇所でその傾向がある。いずれにせよ、このようなブルックナーを聴かせてくれるのはカラヤンだけであろう。
お薦め度:S
(May.3.2020)
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ティントナー/アイルランド国立響

ティントナー

1887年オリジナル版に基くL.ノヴァーク版(初稿版)
指揮:ゲオルグ・ティントナー
管弦楽:アイルランド国立交響楽団
レコーディング:1996年9月23-25日 ダブリン、ナショナル・コンサートホール

 ブルックナーの交響曲第8番の初稿版をティントナーは採用した。'90年代にブルックナーの初稿版を演奏していたのは、ティントナーぐらい。ティントナーにとってブルックナーは特別な存在なのであろう。私は全集を持っているのだが、全曲ブルックナー自身による弟子の助言を受ける前の版の楽譜を採用している。オリジナルということ。このオリジナル版は改訂した第2稿版より難しい。分かり難い。それだけ曲が複雑ということである。ブルックナーが如何に普通では到達しえない境地に到達していたかが窺える。交響曲第9番もそうなのだが、この第8番の奥深さは筆舌に尽くしがたい。第2楽章など、オリジナル版を聴いてしまうと改訂版が如何に簡略化されてしまったかが分かる。もちろん、ティントナーの力量も凄いものがある。前後するが、第1楽章も複雑極まりない。当時の弟子たちが理解しがたかったことも頷ける。現代においてようやくブルックナーのオリジナル版の凄さが認識され始めたぐらいである。この動きに大きな役割を果たしたのは、紛れもなくティントナーだと思う。ティントナーは、カナダに移住したが、その後、オーストラリアへ移住している。ひょっとするとその時、シモーネ・ヤングは、ティントナーの演奏に触れていたのかもしれない。シモーネ・ヤングも全曲オリジナル版を採用している。

ティントナー

 ティントナーの凄さは、初稿版を採用したのみならず、曲の魅力、凄さをこれでもかと引き出していること。前述したとおり、実は単調ではない第2楽章の魅力を教えてくれる。また、第3楽章も改訂版は比較的分かり易いが、オリジナルは遥かに難しく深い。ブルックナーは至る所で仕掛けを施していることがオリジナルを聴くと分かる。その仕掛けを外すと改訂版のようになると思われる。だから、比較的分かり易い。そう、それでも比較的と言わざるを得ない。それだけブルックナーがやったことが難解で深いということ。ブルックナーの初稿版はこれからの時代スタンダードになっていくかもしれないし、私はそうなって欲しいと思う。ティントナーの気持ちもそうであったに違いない。この演奏は80分を優に超える。ここまで巨大になったのは、ブルックナーが詰め込みたいものがそれだけ多かったということ。省略もしくは変更してよい箇所などなかったのである。第3楽章のアダージョは祈りと表現する人が多い、が、この第8番のアダージョはそれどころではない。祈りや美しいなどという言葉だけでも足りない。一体この感覚をどう表現すればいいのだろうか。アダージョを聴いて胸が熱くなるのは、この曲ぐらいであろう。ティントナーの凄さも実によく分かる。この複雑で難解な曲をここまで理解させてくれるのだから。そして、第4楽章。もうとにかくブルックナーがこれでもかとアイデアを詰め込んだために複雑になったことは理解でき、あまりの凄さに言葉が出てこない。空前のスケールとはこのことである。ティントナーだからこそ、この曲の偉大さが理解できた。このようなブルックナー交響曲全集を残してくれたティントナーに感謝と畏敬の念を感じざるを得ない。
お薦め度:S+
(April.19.2020)
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