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Johannes Brahms
ブラームス

曲目解説&名盤紹介

交響曲第1番ハ短調

曲目解説
 長い。あまりにも長い。作曲にかかった時間が。21年。なんという長さ。何故?これは一旦横に置いておこう。それよりもまず、楽想について解説をしたい。

第1楽章
 冒頭、ティンパニが緩やかなテンポで連打をし重厚なリズムを作る。弦楽器も管楽器もそのリズムに乗って重苦しい旋律を奏でる。この交響曲は、ブラームスの交響曲中一番重苦しい楽想である。交響曲第3番、第4番では、哀しさで胸一杯になる楽想ばかり。このような重苦しい楽想ではない。明らかに儚く哀しい楽想である。では何故第1番だけが、重苦しい楽想になってしまったのか?

 答えは簡単ではないが、ベートーヴェンを意識し過ぎたことが原因であろう。他の作曲家もベートーヴェンの交響曲の構成を意識して作曲している。ベートーヴェンの交響曲第5番の解説でも書いたとおり、前例のないあまりにも凄いことをベートーヴェンは交響曲第5番でやった。他の交響曲でも色々やっているが、とりわけ第5番と第9番をお手本にする作曲家が多い。ブラームスも同じく交響曲第1番でベートーヴェンの第5番と第9番をお手本にした。お手本にしたところは構成である。分かり易く言うと、交響曲のストーリー展開をお手本にしている。第1楽章では苦悩し、第2楽章では黄昏れ。第3楽章では、第1楽章で張り詰めた緊張と第2楽章の黄昏感を優しく包み込み癒そうとするが、結局黄昏る。そして、最終楽章で歓喜に至る。メロディーが似ているというより構成がよく似ている。当初のブラームスの構成は違っていたと思う。それを物語るのが、ピアノ協奏曲第1番である。この曲は、ピアノ協奏曲ではあるが、極めてシンフォニックであり、男らしく力強く重厚な管弦楽のサウンドが聴ける。ピアノも負けじと剛毅である。素晴らしい曲で、また、完成度も高い。ブラームス24歳のときの作品。この曲の詳しい解説は別途するとして、私が言いたいことは、この時点、即ち24歳のとき既にブラームスは、完成度の高い交響曲を作曲できる実力を持っていたということ。だから、交響曲第1番もかなり早い時期に完成していたはずである。ところが、ベートーヴェンの考えた楽曲構成に固執するあまり、変更を加え続けたということであろう。

 変更を加え続けた結果、随所にブラームスらしさは残るものの、7、8割の楽想はブラームスらしさを抑制し無理に重厚化しているように聴こえる。ベートーヴェンの「苦悩から歓喜へ」という楽想の構成を無理やり当てはめようとしているため、苦悩に相当する第1楽章が重苦しい楽想になってしまったと言える。ブラームスらしさが後退しているとは言え、名曲であることに変わりはなく、ブラームス流の苦悩となっている。苦悩と闘うというより、苦悩に支配される辛い日々を送っている人の感情でも表しているような印象を受ける。しかも、時折黄昏たりもする。この楽章をどう扱うかが、指揮者の腕の見せ所である。後退したブラームスらしさを引っ張り出すのか、それとも苦悩との闘いを無理に描くのか、それとも黄昏を強調するか、様々である。



第2楽章
 この楽章は、黄昏ている。後年のブラームスらしさが出ている。明るさが微塵もなく、第1楽章の苦悩に抗う気配もない。ここが若き日のブラームスと後年のブラームスの違いかもしれない。曲は9分程度だが、聴きどころは満載である。前半のオーボエと後半のヴァイオリンの独奏も心に沁みる。

第3楽章
 癒されそうで癒されない。非常に胸を打つメロディーなのだが、哀しすぎるのだ。盛り上がるところでも哀しさや黄昏感が増幅する盛り上がり方である。この哀しさを拭い去って明るい未来の到来を予感させるものが皆無なのだ。曲自体に重厚感は全くないが、この楽章から受ける印象は結構重苦しい。

第4楽章
 冒頭から重苦しい。第1楽章の冒頭から気持ちが晴れる箇所がない。ブラームスは徹底して明るさを封じ込める。が、曲が1/4ほど経過したところで、とうとう徐々に光が差してくる。そして、優しい救いの旋律が緩やかに奏される。ここは楽想の大転換で感動を呼ぶ。その後、苦悩と救いの楽想が入り乱れる。これが絶妙。入り乱れ方が凄い。苦悩と救いの楽想が交互に奏されるのではなく、苦悩の楽想と思っていると、救いの楽想がぽうっと出てきては消え、またぽうっと出てきては消える。物凄く巧い。そして、救いの旋律がもう一度奏され、そして、また苦悩が、、、、、、だが、最後は苦悩に揺さぶられながらも徐々に上昇していき、とうとう救われる。ここは、ベートーヴェンの構成と大きく違う。決定的に違う。ベートーヴェンは闘い続け最後に勝利を掴む。ブラームスは苦しみの後、救われていくというもの。ひょっとすると苦労人のブラームスの哲学かもしれない。苦しみの後に喜びがあるという。

ブラームス

 それでは、一番最初に書いた謎について考えてみたい。その謎とは、何故交響曲第1番を作曲するのに21年を要したのか?である。第1楽章の項でも書いたが、ブラームスは24歳の時点で既に交響曲を作曲できる実力を持っていたのだ。それが、完成したのが43歳。何度も変更を繰り返した話は有名である。変更履歴については触れない。触れたいのは、変更を繰り返した理由である。まず、ピアノ協奏曲第1番は24歳のとき完成し、ライプツィヒで初演された。が、酷評された。ここで、自身の管弦楽の作品に自身が持てなくなってしまったのであろう。そこで、何度も交響曲は書き替えられたと推測できる。しかし、それにしてもこの協奏曲が初演されてから19年後に交響曲第1番は完成している。期間が長すぎる。心に傷を負ったにしても、頑強なブラームスにしては復活するのに19年は長すぎる。他の曲の成功もあったのだから。不可解である。

 私の考えはこうである。ブラームスの友人知人、即ち取り巻きの中におかしなアドヴァイスをする者がいたのではないかと。そもそもシューマンが精神疾患を患ったのもおかしい。精神疾患にかかるときというのは、ラフマニノフのように他人から辛辣に攻撃され自信を打ち砕かれたりしてなるものではなかろうか。

 シューマンは、優しい男で若者ブラームスの才能を見抜き激賞してブラームスの名を世に広めた。このとき、シューマンの取り巻きの中におかしなヤツがいたのではあるまいか。そこで、シューマンを訪ねて仲良くなったブラームスの存在も知ったのであろう。類は友を呼ぶ。もし、おかしなヤツがいたのであれば、一人二人ではなく、後ろに相当におかしなヤツがいたということは想像できる。もう一人、シューマンの知人であり仕事仲間でもあるメンデルスゾーンの死も怪しい。メンデルスゾーンは38歳のとき脳梗塞で逝去ということになっている。しかし、38歳という若さで脳梗塞はありえない。しかも、19世紀初頭であり、現代のような添加物や油まみれの食品はまずない。オーガニックな食品ばかりのはずである。そして、メンデルスゾーンは作曲家であり、教育者であり、さらにはイタリアやイギリスへ旅行するなど、かなりの活動家である。そのような人が38歳で脳梗塞はないと思う。だから、メンデルスゾーンの死も不可解なのだ。闇で暗躍したヤツがいたのではあるまいか。かなり大胆な仮説かもしれないが、当たらずも遠からずと私は思っている。ブラームスが自分の家庭を築けなかったのも不可解で、そんなヤツらの暗躍があった気がしてならない。ブラームスは晩年、自身の境遇に怒りを覚える。そこで生み出されたのが、交響曲第4番である。私はブラームスの交響曲の中で一番の名曲だと思っている。交響曲第4番の解説はいずれ書きます。

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