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ANTON BRUCKNER
アントン・ブルックナー


 作曲家ブルックナーをクラシックを聴き始めたばかりの人はご存知ないであろう。クラシック音楽を聴こうと思う人は大抵、ベートーヴェンから始まる。最近の人はマーラーから始まる人もいるそうだが。そういう人は、かなり強者で稀であろう。中にはブラームスから始まる人もいるであろう。もちろん、モーツァルトからの人もいる。モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスの曲は非常に聴きやすい曲が多い。対してブルックナーの曲は、ロマン派までの作曲家の中で聴きにくさでは最右翼と言っても過言ではない。 ブルックナーの生きていた当時、芸術家を支援していた作曲家でありピアニストであったフランツ・リストですら、ブルックナーの交響曲第4番を理解できなかった。確かに初稿の交響曲第4番は非常に難しい。晩年にブルックナーが改訂したものが現代では一般的になってはいるが、初稿をレコーディングする指揮者もいる。そちらの方は何度聴いても、理解ができない。難しい。ブルックナーの交響曲が認められたのは、晩年に作曲された交響曲第7番からである。

 交響曲第7番は、間違いなくそれまでのどの作曲家も書いたことのない緩徐楽章を持っている。ブルックナーのアダージョは今では有名だが、その当時、第7番のアダージョを聴いた人は衝撃だったであろう。深く沈潜して息を長くゆったりと瞑想しているような曲なのだ。このような曲はかつてなかった。強いて言うなら最晩年のベートーヴェンが作曲した弦楽四重奏曲の奥深さに近い。ブルックナーというと、大編成のオーケストラで、大迫力というイメージが先行すると思うが、意外にもブルックナーが最初に新たな境地に辿り着いたのはアダージョ楽章だったのかもしれない。交響曲第8番ではそら美しいアダージョが聴ける。交響曲第9番ではさらに深みが増して、深淵なアダージョとなっている。



 ブルックナーの交響曲を聴いていると、人格が非常に潔白で厳格な人物だったのではないかと想像してしまう。だが、ブルックナーの人となりは曲とはまるで違う。子供好きで熱い心を持った信仰心の強い人物だったようだ。分かり易く言うと、凄くいい人物ということ。弟子に改訂を勧められると従ってしまう。自身を熱い血潮を持っていると語っているし。信仰については言うまでもなく、教会で育てられただけに非常に敬虔なカトリック教徒であった。腰も低い。ホントに好感の持てる人物だったのであろう。弟子も多い。その弟子たちはブルックナーの交響曲を認めてもらおうと奔走する。奔走するあまり改訂まで勧めてしまうほど。功罪はあれど弟子たちがそこまで動いた作曲家はいない。ブルックナーの人となりが窺い知れる。

 ブルックナーの交響曲は難しいが、分かってしまうと恐ろしく感動する。是非この感動を味わってほしい。さらに書くと、指揮者の違いが大きくモノを言う曲であるから、一度聴いてダメだと思っても他の指揮者で再トライしてほしい。


ブルックナーの交響曲を理解するには


CD感想(お薦めの名盤など)

交響曲第1番ハ短調
交響曲第2番ハ短調
交響曲第3番ニ短調
交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
交響曲第5番変ロ長調
交響曲第6番イ長調
交響曲第7番ホ長調
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