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JOHANNES BRAHMS
ヨハネス・ブラームス


 ブラームスの曲が嫌いな人はまずいない。何故か?それは楽想にあると思う。ブラームスが作曲したほとんどの曲が、切なく、抒情性豊かな曲であるから。この切なさと抒情性が融合した曲はブラームスの曲に限らず有名であったり、人気の高い曲であったりする。万人受けする。交響曲でその代表と言えば、第3番、第4番であろう。第3番は全楽章が抒情的である。また、ピアノ四重奏曲第1番も同じである。ブラームスはベートーヴェンを敬愛していたが、楽想はベートーヴェンとは随分と違っている。ベートーヴェンの楽想は交響曲第5番「運命」のように第1楽章で暗い楽想になるのだが、それは苦悩との格闘を描いている。そして、最後は勝利を掴む。ブラームスの曲の場合、苦悩と言うより影が差している感覚である。その影が最終的に晴れ渡る曲は案外少ない。終始影が差していたりする。交響曲第1番は、ベートーヴェンを意識するがあまり、終楽章で影が消え失せ、勝利を高らかに歌っている。そういった曲はブラームスの曲の中では非常に少ない。ブラームスはそういった曲が嫌いだった訳ではない。交響曲第2番も同じく勝利を掴む。第2番も当時から人気を博していた。なのに何故、そういった曲を書かなくなってしまったのか。創作意欲も減退していく。通常、作曲家は晩年になるほど成長度合いが大きく、凄い曲を後世に残しているし、命が尽きるまで作曲していたりする。ブラームスは違った。元気なうちに作曲を止めてしまった。素晴らしい曲を多ジャンルに残しているほど才能に溢れているのに。不思議でならない。必ず理由があると思う。創作意欲が減退した理由が。大成功はしたのだが、自身の望む本当の幸せを手に入れることができなかったのかもしれない。子供の頃は場末の飲み屋でピアノを弾かされたりしながらも若くして頭角を表した。そして、シューマンと出会い。シューマンの激賞がさらにブラームスに弾みをつけ、大成功の道を歩んでいく。実際、ブラームスは苦悩と闘い、勝利してきた。が、自身が一番望むものを手に入れられなかったのかもしれない。逆に手に入れたからこそ、作曲を止めてしまったのかもしれない。それは分からないが、私としては手に入れたがために作曲どころではなくなったという結末であってほしい。クララ・シューマンの死の翌年に死去していることから、そうであってほしいと願うばかりである。

 お薦めのブラームスの曲は、クラシック初心者であれば、やはり交響曲第3番をお薦めする。ピアノ四重奏曲第1番もイイ。他にも名曲は数あれど、まずは、このあたりを聴いて欲しい。



 ところで、ブラームスには謎が多いと思いませんか?大成功したのに、なぜ生涯独身だったのか?交響曲第1番の完成までどうして21年もかかったのか?どうして、ほとんど曲の楽想が哀愁を帯びているか?なぜ、ワーグナー派とブラームス派は仲が悪かったのか?説明できないものばかりである。が、その謎を少し紐解いてみようと思う。

 1つ目。大成功したのに、なぜ生涯独身だったのか?
 これは、ほとんどの人がクララ・シューマンのことが忘れられず一生その人を愛し続けたからだと言うであろう。果たして、そうであろうか。たぶん、間違いなくクララ・シューマンは外見も中身も魅力的な女性であったろう。しかし、成功したブラームスが居住していたのは、オーストリアのウィーン。クララ・シューマンはドイツのフランクフルト。手紙のやり取りはあったであろう。しかし、ブラームスに好きな女性が何十年もできなかったとは到底思えない。私は絶対何度もそういった女性ができたと思っている。それなのに何故なのか。ブラームスに悪意を抱く者が生涯邪魔をしていたのではなかろうか。この邪魔をするヤツというのは、他の作曲家にもいる。モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、メンデルスゾーン。彼らは、酷い目に合わされたと私は思っている。中でも一番酷い目にあったのが、シューマンであろう。また、メンデルスゾーンの死には大きな謎がある。悪いヤツが関わっていたとしか思えなくなった。

 次にいこう。交響曲第1番の完成に何故21年もかかったのか?
 不思議に思う人は多いであろう。素直な人は慎重派だったのだろう。と思うであろう。でも、考えてみて欲しい。交響曲第2番は1年もかかっていない。たったの4か月。では、結構ざっくりした深みのない曲なのか。違う。各楽章魅力的で、終楽章はウキウキする曲だ。このような曲はなかなかない。普通に考えれば、交響曲第1番は相当早い段階で完成していた。ブラームスの才能をもってすれば可能であろう。だが、ブラームスは多分、いや間違いなく誰かに感想を求めたに違いない。当然、信じている者に感想を求める。が、毎回、ブラームスには気づかれないように難癖を付けたのではなかろうか。そこで、ブラームスは信じている者に言われたため、毎回修正をしたのであろう。これは、ブラームスの他の曲に対する作曲のスタンスに強い影響を与えてしまったと思われる。だから、ブラームスは様々なジャンルの曲を作曲しているが、曲数は少ない。このようなことを書いていると、根拠なしでよくそんなこと書けると思われるかもしれない。だが、私は交響曲第1番と第2番の二つの差がどうにも納得できないのである。第1番は21年かかった。第2番は4か月。なのだから、普通に考えれば、第2番の方がブラームスが得意とする楽想だったと考えられる。第2番は、第1楽章と第2楽章は、穏やかでうっとりする曲でもあるが、少し闇を感じる。続いて、第3楽章は明るくなり、闇を通り抜けて幸福感を感じる。春になった感覚。そして、第4楽章は、幸福感の感情の爆発である。ブラームスは本来こういった曲を書きたかったのではないかと思う。得意だからこそ、すぐに書ける。一方、第1番は、第4楽章が非常に難しく上昇していく。捻りが随分とある。天才の所業であることは間違いない。だが、重箱の隅を突くようなことも言われたのであろう。だからこそ、21年もの歳月を要してしまった。私はブラームスにはもっと曲を残してほしかった。

 次にいこう。どうして、ブラームスのほとんどの曲は哀愁を帯びているのか?
 おかしいとは思いませんか?誰しも感情は時によって変わる。前述したようにブラームスは、交響曲第2番を4か月で作曲している。だからこそ、第2番のような楽想が得意だったのであろう。もちろん、哀愁を帯びた曲も得意であったと思われるが、常にそのような曲を書くのはたいへんに違いない。そりゃそうである。人の感情は移り変わるものなのだから。どんなことでも感情に左右されるものである。作曲という仕事も感情に左右されて当然である。だから、哀愁を帯びた曲を書くのに気分が乗らないときでさえ、そのような楽想の曲を頑張って書いていたのではなかろうか。その理由は、ブラームスの取り巻きにあると思われる。

 最後。何故、ブラームス派とワーグナー派は仲が悪かったのか?
 これは、明らかに本人同士の確執ではない。ブラームスはワーグナーのことを高く評価しており、ワーグナーもブラームスを高く評価していた。ブラームスに至っては、ワーグナーの楽劇の楽譜を所持していたぐらいである。結局、前述したが、取り巻きの中に悪意を持っていた者がいたのであろう。そういう者に扇動されて他の取り巻きも巻き込まれていったと私は考える。

 あれだけ大成功しても、晩年に作曲意欲が減退してしまった。理由はレナード・バーンスタインが語った通り、自身の幸福、即ち自分の妻と子供を持つことができなかったことで、どうしても、心が安らげなかったと思われる。交響曲第4番の第4楽章では、怒りを感じると語っている。やはり、交響曲第1番の完成が大幅に遅らされてしまったことが大きく影響していると思う。だが、前述のとおり、ひょっとすると最晩年になって自身の望むものを手に入れたのかもしれない。もう一度書く。そうであって欲しい。


曲目解説&名盤紹介(お薦めの名盤など)

大学祝典序曲
悲劇的序曲

交響曲第1番ハ短調
交響曲第2番ニ長調
交響曲第3番ヘ長調
交響曲第4番ホ短調

ピアノ協奏曲第1番ニ短調
ピアノ協奏曲第2番変ロ長調

ヴァイオリン協奏曲ニ長調

ヴァイオリンとチェロのための2重協奏曲イ短調

ピアノ四重奏曲第1番ト短調

ピアノ・ソナタ第2番嬰へ短調OP.2
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