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CAMILLE SAINT-SAENS
カミーユ.サン=サーンス


 フランスやフランスと似通った地域に生まれ落ちた作曲家は、独特な楽想を持っとる。モーツァルトやベートーヴェンとは明らかに違う。また、チャイコフスキーらとも違う。一方、ロッシーニやヴェルディとも違う。大人しく優しい音楽が多い。ベルリオーズは、ベートーヴェンから強い影響を受けとるため違うと思うが、他の作曲家は似たような傾向にある。ラヴェルもドビュッシーもお隣の国に生まれ落ちたフランクもそうである。落ち着いた雰囲気を醸し出しとるのである。現代、映画やドラマなどでお洒落なシーンやデートで話し込んでいたりするようなシーンでよく耳にするような落ち着いた音楽というのは、この作曲家達が考え出した楽想なのだ。既に19世紀にやっとったのだ。ラヴェルやドビュッシーに至っては、アメリカへ演奏旅行に行ったとき、ジャズを聴くことになり、それ以後強い影響を受けた。実際、アメリカへ行く前に彼らが作った音楽を聴くと、落ち着いたジャズの曲に通じるところがある。サン=サーンスについて。一般的によく取り上げられる曲は、組曲「動物の謝肉祭」の第8曲目の「白鳥」であろう。この曲は誰もが耳にしたことのある名曲である。他にも凄い名曲がある。しかし、意外にもサン=サーンスの曲はレコーディングされる機会が少ない。多くの指揮者や演奏者は、彼らの曲をあまり演奏しない。私の勝手な考えなのだが、ピアノ協奏曲などは、他の有名な曲ほど知られてないし、超・超絶技巧を必要とするわけでもないため、やはりピアニストなどはチャイコフスキーやショパンやラフマニノフを選ぶのかもしれない。ヴァイオリニストも同じくメンデルスゾーンやチャイコフスキー、パガニーニを選ぶのかもしれない。だが、演奏者はそうでも聴衆は違う。我々音楽ファンは感動するかどうかが問題なのだ。それを考えると、サン=サーンスの曲は、凄い曲がズラッと並んどる。もちろん、モーツァルトらと比較するつもりはない。彼らは彼らなのだ。サン=サーンスらは、モーツァルトやベートーヴェンらが構築した技法とは別の独自の考えで作曲をしたのではなかろうか。だから、随分、曲の雰囲気も構造も違うのであろう。循環形式などと言われた手法がある。彼らが始めた。第1楽章で使った旋律を後続の楽章でも使用したりする。それまで他の作曲家は、そういうことはやらなかった。それぞれの楽章で別々の旋律が登場する。当たり前と言えば当たり前。違う曲なのだから。でも、サン=サーンスらはやったのである。すると、その手法について、馬鹿な評論家がメロディーの使いまわしだとか、メロディーが書けない作曲家とか言った。だが、私の考えだが、循環形式は、ベートーヴェンが第9交響曲でやったことをさらに発展させた手法なのではなかろうか。ベートーヴェンは、その交響曲で第1楽章から第3楽章までの主旋律を第4楽章の冒頭で使っとる。それは、第9交響曲でベートーヴェンが皆に伝えたい内容を確実に伝える手法であった。だが、そのベートーヴェンの意図を知っても知らなくても、あの交響曲の凄さは誰でも理解できる。即ち、前楽章の旋律を終楽章で回帰させる手法は、音楽的に非常に効果があるのである。そこに気付いた作曲家はサン=サーンスら以外にもいる。ブルックナーは第1交響曲から、その手法を使っとる。かと言って、ブルックナーに誰もメロディーの使い回しなどと批判した者はいない。前述の評論家は、嫌がらせとしか思えない。で、ブルックナーは、ベートーヴェンの第9交響曲と同じ使い方をした。だが、サン=サーンスらの使い方は随分違う。要は自分達流に発展させたのであろう。実に効果的で感動を誘う。フランクの交響曲もサン=サーンスと同じ手法を取っとる。

サン=サーンス

 サン=サーンスは、多くの作品を残してはいるが、ベートーヴェンらのようにはいかない。ブルックナーは、交響曲ばかりを残した。曲数にすると、過去の作曲家より随分少ない。だが、ブルックナーの作曲した曲数が少ないと言う者はいない。彼らの時代では、1800年前後に活躍した作曲家のように多くの曲を作曲できる状況ではなかった。また、作曲技法も増えるし、楽器の数も増え、楽器そのものも進化しより多くの音を出せるようにもなった。さらには、1800年前後の作曲家達が残した曲を超えようと努力をする。その壁はとてつもなく高い。現代でも、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトらの曲の人気は極めて高い。楽器そのものは、1900年前後と比べるとずっと悪い。それでも凄い曲をたくさん残した。即ち内容が濃いのである。そうなると、後続の作曲家達は、さらに濃い内容の曲を作曲しようと試みるのである。そりゃそうである。作曲すれば、必ずモーツァルトらと比較されるのだから。それはどうにもならない。ロックバンドでたとえるなら、バンドは絶対過去のバンドの曲と比較される。それは、過去のバンドの曲を聴衆が知っとるから。どうしてもそうなる。すると、過去の曲のコピーは当然できない。すると、推考に推考を重ねることになる。だから、作曲できる曲数は少なる。自明の理である。と同時にベートーヴェンらの曲を超えることがどれほど大変かは聴いとる者なら分かる。ワーグナーはこう語っとる。交響曲は自分がやりたいことを全部ベートーヴェンがやってしまったと。だから、もう作曲できないと。だから、後続の作曲家達は、交響曲を作曲するとき悩みに悩んだ。サン=サーンスが作曲した交響曲は僅か3曲である。1番と2番は、それぞれ18歳と24歳のときに作曲された。若いからこそ一気呵成に作曲できたのかもしれない。それに対して有名な第3交響曲は51歳のとき作曲された。しかも、この曲は依頼されたことにより作曲したのである。自分から進んで作曲した訳ではない。だが、自分の持てるものを全て注ぎこんだと語っとる。即ち相当な覚悟を持って作曲したのである。それほど、交響曲の作曲は困難を極める時代であった。もちろん、作曲家の敵はフランスにもいた。その為、作曲しても何がしかの難癖を付けられるため、大曲ほど作曲し辛い状況であった。奴等にサン=サーンスもかなり悩まされとる。

ガーシュイン

 楽想について。もう少し詳しく書きたい。クラシックの作曲家でメロディーメーカーというと、チャイコフスキーやドヴォルザークを思い出す人が多いと思う。だが、サン=サーンス自体、日本ではあまり知られていない作曲家である。だから、サン=サーンスのメロディーメーカーぶりを知ったら、きっと大好きな作曲家になるであろう。有名な組曲「動物の謝肉祭」では、それぞれの動物をイメージした曲になっとる。どうしてこんな風に動物のイメージを正確に音楽にできるのかと思うほど凄いメロディーが連発する。しかも、タッチが柔らかく聴く者を優しく包み込むような雰囲気に溢れとる。そうすると、凄さを理解できない評論家などは、深みが足りないとか、簡単すぎるとか言うのである。ワーグナーやブルックナーの曲は重く深みがあると言うのだ。だが、一方でブルックナーに対しても酷評をしたりした。サン=サーンスは、曲作りで主眼に置いていたのは、たぶん、分かり易いメロディーなのであろう。大抵の曲で親しみ易い旋律が聴こえてくる。ピアノ協奏曲などは、全て名旋律と言えよう。だが、5番「エジプト風」は分かり辛い。何故分かり難いのかと言うと、「エジプト」のイメージを旋律にしているからである。我々日本人がエジプトをイメージすると、どうしてもピラミッドとかスフィンクスとか古代の遺跡などを思い付く。それは、音ではなく視覚的なイメージなのである。即ち我々には、エジプトをイメージする音を持っていないのだ。だから、サン=サーンスがどう表現しとるのか理解し難い。だが、何度も聴けば、明らかにサン=サーンスが伝えたかったエジプトのイメージが音で伝わってくる。これらの曲を聴いとると、結局、サン=サーンスは物腰が柔らかく親しみ易い曲を作ることを得意としていたとしか思えない。有名な交響曲第3番「オルガン付き」でも、ド迫力な部分ですら心地よさを感じる。

 話が逸れるが、サン=サーンスは、彼の周りをうろついとる奴等がどうにも嫌で、結局、新天地としてアメリカを選んだのではなかろうか。実際、アメリカへの演奏旅行をかなりの回数行ったようである。そして、サン=サーンスの音楽は後にガーシュインの音楽に結びついていったのだと思う。  


CD感想(お薦めの名盤など)

交響曲第3番ハ短調作品78「オルガン付き」
交響詩「死の舞踏」作品40
チェロ協奏曲第1番イ短調作品33
ピアノ協奏曲第2番ト短調作品22
ピアノ協奏曲第3番変ホ長調作品29
ピアノ協奏曲第4番ハ短調作品44
ピアノ協奏曲第5番ヘ長調作品103「エジプト風」
ヴァイオリン協奏曲第2番ハ長調作品58
ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61
序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調作品28
組曲「動物の謝肉祭」
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