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連撃滅破(Megadeth)

アルバムレビュー&曲目解説

Killing Is My Business... And Business Is Good

killingIsMyBusiness

Megadeth
プロデュース:デイヴ.ムステイン

1.Last Rites/Loved to Death
2.Killing Is My Business... and Business Is Good!
3.Skull Beneath the Skin
4.These Boots(カバー曲)
5.Rattlehead
6.Chosen Ones
7.Looking Down the Cross
8.Mechanix

 メガデスの1枚目のアルバム。このアルバム、実は裏(真)の意味が込められとるアルバムである。裏の意味とは、日本人の敵へのメッセージである。日本国内におる日本人の敵を糾弾し滅するためのアルバムである。ビックリしたであろう。まさかメガデスが日本人の味方をしとったとは誰も思いもつかない。実際、私も長い間知らなかった。数年前にその事実を知ったのである。メガデスが味方と書いたが、デイヴが味方なのである。絶対的な。メガデスのメンバーは、随分交代しとる。それもデイヴが採用するかクビにするかを決める。メンバー本人が辞めたいと言ったら、そのメンバーの意志ではあるが。基本的にメガデスのメンバーを辞めたい者はまずいない気がする。スラッシュメタルバンドでこれほど売れとるバンドはいないから。だから、メガデス=デイヴなのである。我々の味方とはどういうことなのか以下に解説していく。ビックリすると思う。

第1曲:Last Rites/Loved To Death
 Last Ritesの訳は調べてみると、「臨終の人への最後の儀式」とある。それは、葬式を意味すると思われる。言うなればもうすぐ死ぬ者へのメッセージと言えるだろう。そして、Loved To Deathの訳は、死ぬほど好きだったという意味である。
 まず、表の意味から解説する。これは、たぶん、ヒモ野郎の無茶苦茶な行動や言動を糾弾しとるのであろうと思う。で、日本人に特に関係してくるのは、裏の意味なのであるから、それを早速書いていこうと思う。この歌詞で歌われとる人物は解説を読み進んでいけば想定できると思うので、こここでは書かないでおく。歌詞の序盤では、たぶん、付き合っとった恋人もしくは、その二人の別れ際の会話である。最初に男が女性を抱きしめるのだが、その女性から会えて嬉しいという気持ちを全く感じ取れないと歌う。お前の心はここにない。どこかへ行ってしまった。お前のことが恋しくてたまらん。初めに言ったやないか。恋愛ちゅうもんは、ええ時より悪いときの方が印象に残ると。もう、あれやな。俺たちは戻れたとしても、もうあの時には戻れへんな。でも、俺は死ぬほど好きやったんやで。ここまでが一区切り。間奏が入り、続いて、もし俺がお前を手に入れられないのなら、誰もできへんやろな。それほどお前は気難しいんやで。で、結局俺はこれまで生きてきた中で一番の愛を捨てざるを得ないんやろな。お前は天国なんやろけど、俺は地獄行きや。ほんまに死ぬほど好きなんやで。ここで、また一区切り。間奏の後、ギターソロが入る。この後、本人は殺し文句と思っとるであろう内容が歌われる。でも俺は地獄へは行ってないやろ。ここにいるやん。分かるやろ?お前も天国に行ってないやん。俺とここにいるやろ。頼む、戻ってきてくれ。俺を取ってくれ。お前がそんな酷い女とは思わなんだ。優しい女やったらきっと俺を取ると思うよ。分かってくれ。お前が俺を縛るからあかんねん。そんな愛情はいらんねん。もっとドライに行こ。ドライに。ほんまに死ぬほど好きやねんて。
 恐ろしい奴である。たぶん、男がさんざん浮気をして我慢の限界を超えた女性が、完全に見限って別れようとしとるのが見て取れる。そんな相手に別れないで欲しいと願う気持ちを伝えとるのだが、あまりにも身勝手で自分が浮気をしても怒ってはいかんと言っとるのだ。さらには、それだけのことをやっといて、死ぬほど好きという言葉を連発する。異次元にいる奴である。ところで、この「お前は天国へ行くぞ」という部分の意味がどうにも怪しい。逆に捉えれば、死ぬぞという意味になる。その次の内容の、「お前はまだ天国に行ってない、だから、俺とまだ付き合え」ともとれる。脅しともとれるのだ。そもそもデイヴは、極めつけのような悪党を糾弾する。だから、この歌詞の本当の意味は、それなんだと思う。この曲のタイトルを思い出して欲しい。Last Ritesである。「臨終の人への最後の儀式」なのである。だから、相当恐ろしいことをやっとる奴なんだと思う。もちろん、奴はチ〇ンでもある。日本人ではない。
 音楽について。Last Ritesは、30秒ぐらいの曲である。即ちイントロである。だが、このイントロ、しっかり意味を持っとるのだ。始まりの部分はバッハを思わせる厳粛な雰囲気に包まれる宗教音楽である。ここでは、タイトルから察するに、この世から天国へ旅立つ人へ送る音楽として登場しとる。だが、その楽想は、あっという間に地獄へ導かれるような楽想に変貌する。本編に突入すると、完全にスラッシュメタルである。高速でもって、怒涛のギターで始まる。歌詞を一見すると、この楽想ほど恐ろしい内容ではないかのように思え、少しアンバランスな印象を受けるが、歌詞の本当の意味を知ってしまうと、生易しい楽想の曲では歌詞を支えきれないことが分かる。即ち登場する者の言動や行動がちゃらんぽらん且つ冷酷且つ狂暴なため、特にギターのリフもソロもリズムに乗りながらも怪しく奇天烈で狂暴になっとる。で、勘違いしてほしくないから一応書くが、そいつのことを歌っとるというより、そいつを糾弾しとる歌である。そういう奴はそうはいないが、おるところには結構おる。気を付けていただきたい。間近で関わらないことである。この曲でやれると思う。

第2曲:Killing Is My Business... and Business Is Good!
 この曲も表と裏の意味がある。表の意味は殺し屋のことである。殺し屋を雇って殺したい相手を殺しても、結局、自分も標的にされたら、同じ殺し屋に殺されるという内容。で、やっぱり裏の意味が日本人に関係しとる。1曲目で登場した奴が再びここでも登場する。「ビジネス・イズ・グッド」確かに奴はこの言葉を結構言っとった。最近は言わなくなったが。調べてみると、「仕事がうまくいっとる」という表現は、英語で「going well」というみたいである。また、「良い仕事」というように仕事の中身が良い場合は、「The job is worthwhile.」価値のある仕事。「The job is rewarding.」その仕事は報われる、もしくは、その仕事の報酬はいい。などと表現をする。だから、英語が母国語の人は、「いい仕事」を「Business is good.」とは言わない。この英語?を使っとったのは、間違いなく〇ンマである。日本人が見とる前で臆面もなく「殺しは俺の仕事」などとも笑いながら言っとったことも思い出す。そもそも、このアルバムがリリースされた頃、奴は莫大な借金を抱えとった。で、数年後、借金は完済したと公言しとった。お昼のあの番組に週一回出るだけであれほどの借金を返せるとは、凄い報酬なんだなと当時は思ってはいた。だが、今考えてみると、いくらなんでもそれはどうなんだ?と思う。でも、なぜテ〇ビであんなことを言ったのであろうか?誰かが気づかれないように、その言葉を言わせたのだと思う。で、それを言った後では、誰かがひょっとしたら奴はこういうことをやっとるんじゃないか?と勘繰り始めたとき、そういやテ〇ビで、あんなこと言っとったと思い出したらその人の中ではその公言内容は確定する。言うなれば、バレるわけである。だから、大きな弱みになる。だが、当人は、そんな引っ掛けをやられとるとも知らず、更には、それを言っても絶対誰も分からないだろうと思い込みいつものように喋りまくった。一体誰が言わせたのだろう?ひょっとするとひょっとする。で、歌詞の内容だが、「俺はスナイパーや。いつも標的を狙ってんねん。赤外線で夜を照らしてんねん。お前の頭を狙ってんねん。」間奏が入り、「前金で百万や。終わった後でもう百万。俺は何をすべきか分かってんねん。お前も十分過ぎる程分かってるやろ。お前のためにわざわざ戻って来てるわけや。」これは標的に対して話しとる内容だと思われる。次の内容もそう。「俺は取り除くことをやってる。どうしてかは聞くなよ。真実を聞く必要もない。嘘もいらない。今すぐ払ってくれ。俺は本当にやるで。次の仕事はお前や。俺めっちゃ嬉しいねん。」これも、たぶん、その依頼をした者との会話ではない。標的とされとる者に対して言った言葉であろう。要は脅しである。標的からもお金をせしめ、依頼主からも貰う。間違いなく全ての面において異次元で生きとる生物である。で、ギターソロの後に奴が喜んで喋っとった内容が繰り返しシャウトされる。「殺しは俺の仕事やねん。ビジネス・イズ・グッド」「殺すことは俺の仕事やねん。仕事はうまくいってるで。」...「信じた方がええで。」「あははははは!」間違いなく奴の恐ろしさを歌っとる。だが、勘違いしてはならない。奴を必要以上に怖がる必要はない。また、馬鹿さ加減も表現しとることもお分かり頂けるであろう。
 音楽について。冒頭から歌詞の最初の区切りの部分まで、ミドルテンポで曲が進む。恐ろしい楽想である一方で、気合いが入る楽想でもある。1曲目にも書いたが、メガデスの曲は敵を糾弾しとる歌である。そこを取り違えてはいけない。そこを取り違えると、当然恐ろしくしか聴こえてこない。そういう風にデイヴが作曲しとるから。だが、糾弾しとるということを理解しとると、曲の奥底にあるものが聴こえてくる。糾弾する曲である以上、糾弾する側の人にとっては、糾弾される側の者と闘う為に気合いを入れる曲であってほしい。一方で糾弾される側の者には、気合いが入ってもらっては困るのである。この相矛盾する楽想の曲をデイヴは第一作目のアルバムで既に作曲しとる。恐るべき作曲家である。この後の間奏では、速度が急激に上がる。楽想は、恐ろしいというより、奇天烈な雰囲気を感じる。要は、歌の登場人物の職業を考えると、まるで逆の行動を平然とするから、見る人から見ると、偽善者を通り越しとるのであろう。まるで、理解ができない行動なのである。それをギターで表現しとると思われる。ここの箇所では、奴が相手に脅しをかける場面を歌っとるから、切羽詰まる楽想である。次の間奏の後の歌詞は、「標的は、俺が話しかけとるあなただよ」という緊迫した脅しの場面である。で、ここでテンポが再びミドルテンポに戻る。ドスを効かせる表現だと思われる。この後、再び速度を上げ、前述の恐ろしく奇天烈な楽想のギターリフになる。で、「殺しは俺の仕事やねん。ビジネス・イズ・グッド!」が連続でシャウトされる。完全に奴をバカにしとるのと同時に強烈な糾弾でもある。奴が、この曲の歌詞の意味を知らされた上で聴いたら、かなり怖くなるであろう。この後、シャウトの途中からギターソロが入る。明らかに精神が崩壊しとるであろうことを表現しとる楽想である。こういう曲を作ろうと思って作れるのだろうか?無理な気がする。さすが時代を超越した作曲家である。糾弾する側は、この曲のそういう恐ろしい部分の楽想を聴いてはいけない。この曲に乗ってそういった悪党を糾弾する気持ちで聴いてほしい。そこのところ重要である。

第3曲:Skull Beneath the Skin
 この曲、かなり恐ろしい内容を歌っとる。歌詞の内容を解説するのは、割愛させていただくことにする。ホラー映画どころではないからだ。この曲も当然、実際に歌詞の内容を起こした奴を糾弾するために作られた。ということは、当然、この曲をそいつらに聴かせるわけである。あまりにも酷いことをお前らはやったよなと。この曲を聴かされた後どうなるかは、想像にお任せする。
 音楽について。デイヴは、自身の曲を恐ろしい曲ばかりで自分の感性とは違うとも語っとる。実際、そういうことでもあるとは思う。実際に大昔にデイヴが作曲した曲とはあまりにも楽想が違う。だから、その理由はよく分かるし、音楽自体、歌詞の内容に上手く合わせて作られとる。聴けば聴くほど細かなところまで随分拘って作曲されとることが分かる。歌唱も敵を糾弾するために歌っとるから、カッコよく歌っとるわけでもない。で、当然、歌詞の内容が内容なだけに奇天烈な楽想だとか恐ろしい楽想だとかになっとったりする。だが、その楽想をどうやって思い付くのだろうか?相当な作曲センスと技術がなければこのような楽想の曲をこれほど思い付けるわけない。そして、歌が挿入されていないと想像して聴いてみると凄い曲になっとることが分かる。確かに恐ろしい楽想だったりするが、かなり前衛的でカッコよくもある。時には重心を重く配置して重厚な楽想であり、時には怒りに任せて高速に疾走するような楽想であったり、また、聴く者を鼓舞するような楽想であったり。かなり凄い曲になっとる。だから、これらの曲もやはりデイヴの曲だと思う。歌唱だって、悪と闘っとる者に気合いを入れるところは、確実に力強い歌唱になっとる。だから、決して恐ろしいばかりの曲とは言えない。だから、BIG4の一角を為しとるし、相当なファンもいる。聴く人は、曲に乗って敵を叩き潰せばいいのである。

デイヴ

第4曲:These Boots
 この曲は、歌詞が少し変更されとるが、カバー曲である。ナンシー.シナトラが1966年にリリースした曲。作曲は、リー.ヘイゼルウッド。歌詞の内容は、男が浮気をし、且つその男に相当酷いことをされた女性の気持ちの吐露を歌っとる。で、デイヴの変更した内容は、本当はこういうことが歌いたかったんだろという内容ではなかろうか。さらに、デイヴは、その男は人ではないと。ヒモ野郎だと。で、歌詞の内容をもう少し詳しく書くと、女性はまさか付き合った男がヒモ野郎とは思っていなかったのだが、付き合ってみるとヒモ野郎そのものであり、そいつをブーツで何度も踏みつぶしてやるという内容。ヒモ野郎のことを少し詳しく書く。通常、ヒモ野郎というと、売春婦にくっ付いて、その売り上げを全て取り上げる奴のことである。で、その取り上げた全額から、少し生活費とか言って、若干本人に渡す。映画でもたまに見かける。私もそういう奴と認識していたのだが、実はそれだけではないことが数年前分かった。そもそも、普通に生活しとる女性を売春婦にするのはまず不可能。で、どうするか?女性にハニートラップを仕掛けるのである。裕福で育ちのいい男のふりをして。当然、豪邸に住んどる。で、女性を口説くときも、あなたといるだけで幸せだからと称して、デートする度にお金をお小遣いと称して女性に渡す。当然、女性が何をしても絶対怒らず、笑い抱き寄せキスをする。完全にその男を信用させる。で、金遣いも荒くしていく。あげるお金の額も半端ではない。当然、その女性はその男との結婚を考える。そこで、突然、裸の写真を撮らせてくれとか言い出す。当然、富豪だと思っとるから、撮った写真をネタに脅すとは思えない。ところが、結局はその写真をネタに脅す。で、お金もヌードになったら渡す。また、見た目がその女性が好きなタイプの男(こいつもハニートラップ)を近づけ浮気もさせる。そんな風にして、弱みをどんどん握りながら社会的地位を落とす。更には、裸になってお金を貰うという行為に対する嫌悪感を消していく。即ち女性の持っとる誇りをことごとく消していくのである。その結果、逃れられなくなりそいつらの言いなりになってしまうのである。映画などで見ると、なぜそんなことをやるのか?そんなに嫌ならサッサと止めてヒモ野郎の知らないところへ行って普通の生活をすればいいのになどと思う。だが、それができない事情があったりするのである。ホントに無理やりやらすのである。そして、逃げられない。で、上前を取り上げにいく奴は下っ端である。そいつらを取りまとめとる奴が一番危ないヒモ野郎であり、富豪のふりもしとる。だから、普通の人には分からない。で、この曲の歌詞に出てくるヒモ野郎は、こいつら全員のことである。ヒモは、ホントに危ない連中である。だからこそ、デイヴはそいつらを糾弾する曲をカバーしたのである。女性がこの曲を歌っても、ヒモ野郎はそれほど怖がったりしない。だが、デイヴが歌えば、確実に恐ろしいのである。それで、デイヴはこの曲をカバーしたのであろう。と、ここまでが表の意味。この曲にも裏の意味がある。日本にいるげ〇にん達のことである。特にこのアルバムがリリースされた頃のげ〇にん達のことである。結局、そいつらは全員ヒモ野郎なのである。そいつらの出世話をテレビで見ると必ず女性が稼いだお金で生活しとる。しかも、その当時助けてもらった女性と結婚しとる奴はいない。さらには、浮気はして当然と思っとる連中である。実は前述のとおりのことをやっとった連中なのである。見た目は良くない者ばかりだが、そういうことを複数でやるのだから確実にやつらがやる役目がある。女性は油断してはならない。因みに男にハニートラップをやる女のふりをした悪魔もいる。気を付けていただきたい。
 音楽について。ブルース調で始まる。だが、やはり随一のギターの名手だけあって、通常ミドルテンポで弾くメロディーをデイヴは、高速で弾いてしまう。このフレーズは、ジャズに通じると私は思っとる。というのもブルースは、ジャズから発展したものであるから。だから、このフレーズは、カッコいいのだが、音符が上手く繋がったメロディーというわけではない。流れるような曲はご存じであろう。古今東西、名曲というのは大抵この流れるようなメロディーで聴き易く分かり易い。もちろん、難解な曲もある。で、ジャズというのは、ご存じのとおり初めて聴いた場合、めちゃくちゃな音符の羅列のように聴こえる。だが、ジャズの作曲家達は、しっかり理解して演奏しとるのである。ブルースは、このようなジャズの流れを汲む音楽である。だから、難しい。理解したときカッコよさに気付くのだが。で、このようなフレーズは、普通ミドルテンポで弾く。それが、またカッコいい。だが、ここでデイヴは敢えて高速に弾いとる。それで思うことは、音符が散らばっとるから、高速に弾くのは非常に難しいと思うのだが、デイヴは、サラッと流していく。この感覚を掴めたら、このデイヴの弾き方のカッコよさに更に気付けると思う。元々この曲は、こんな高速テンポの曲ではない。なぜこんな高速テンポにしたのか?たぶん、ヒモ野郎を落とすときにそいつらを切羽詰まった感覚に陥らせたかったからではなかろうか?そんな気がする。名曲である。

第5曲:Rattlehead
 ラトルヘッドとは、このアルバムのジャケットにある、恐ろしい骸骨のことである。やっぱりこの曲にも表と裏の意味がある。表の意味から解説していく。ラトルヘッドの写真や歌詞を読んでも分かるとおり、ラトルヘッドとは、目、耳、口を残忍な方法で塞がれ、骸骨だけになってしまった者のことである。で、歌詞では、ラトルヘッドが敵に襲い掛かるという内容。当然、敵とは、このような残忍なことをした者のことである。ラトルヘッドが復讐をするということである。この内容通りにされた者のことなのだが、一方で、民主主義と言いつつ一切民意が国に通らない。してほしいことの逆ばかりをされた者のことでもあると思う。即ち、自分が見た事柄が嘘、自分が聞いた(教わった)話が嘘、自分が切望することを言っても絶対通らない。残忍な方法で塞がれたとは、本人は嘘などつかれていないと信じとるし、その行為の目的が、極めて恐ろしい内容だからである。ラトルヘッドは殺された者のことである。ここまで書けば分かってもらえると思う。で、この曲もそのような奴らを糾弾し落とす曲である。で、日本には、辛酸を舐めさせられ続けとる地域がある。そう、ぶ〇くに乗っ取られてから。たくさんある。が、名古屋が一番酷い目に合っとる。実は全国の自治体は、国からそれぞれの地域の税収に見合った額の予算額を受け取る仕組みになっとる。そのお金は、基本的に県に渡される。そして、県から県内の各自治体に渡す仕組みなのだ。だが、愛知県は名古屋市に渡すお金の大部分を豊田市に渡し続けとるのである。それでも、名古屋市の税収が多いから、なんとかやっていける状態ではあるが、名古屋市にあったコンサートホールなどは無くなっていった。で、愛知県が体裁を保つために複合の施設を建てた。が、名古屋市にはお金は入らない仕組みになっとる。それだけではない。搾取される側の自治体はずーっと決まっとる。変更されることはない。搾取する側の自治体は、関東の4つの都県と関西の3つの府県、他に九州の北部と南部の県、四国の南部の県といったところである。もちろん、この搾取する側の地域に済んどる人全員がそういうことをやっとるわけではない。その地域に住んどっても搾取される立場にある人も大勢おる。誤解なきよう。搾取する側は、ぶ〇くの者である。で、実情はもっと酷い。ここには書き切れないのでこのへんにしておく。で、この曲の冒頭でデイヴは叫んどる。「名古屋!Hands in the air!」と。訳すと、「名古屋!気合いを入れろ!」という意味。当然、この曲に乗って一緒に敵を落とすぞということ。さて、裏の意味は、やはり、例のげ〇にん共が絡んどる。やつらが裏でやったことの暴露でもあるし、糾弾でもあり、その被害者に成り代わってやつらを落とす曲でもある。
 音楽について。この曲は、怒りの曲であり、復讐の曲でもあり、敵を叩き潰す曲でもある。だから、過激ではあるが、かなりノリがいい。後半の歌詞の内容は、ラトルヘッドにとっては、着るものなどどうでもいい、女性も必要ない。とある。これは、普通の人の感覚では、当然大切な欲求なのだが、復讐こそが自分の欲求だという意味であるし、また、このラトルヘッドと同じ目に合わせてやるという意味も含まれとる。即ち、残忍な奴らの側に女性はいてはならない。奴らには何も必要ないという意味でもある。メガデスのように悪魔と闘っとるバンドは、歌詞の内容にいくつも違う意味を重ねるという離れ業をやっとる。超絶技巧の持ち主というだけではなく、歌詞についても凄い離れ業をやっとる。で、歌詞が以上のような意味であるから、どの意味で受け取っても、結局は敵を叩く曲なのである。だからこそ、気合いが入る楽想になっとる。歌詞の中で奴らがやったことを読むとあまりにも恐ろしい内容なのだが、これは、奴らを糾弾するために歌っとるのであり、そういう連中と闘っとる人を恐ろしくするためではない。だから、楽想は勇気づけられるような楽想になっとるのである。だから、奴らのような者にこの曲を聴かせるときは、この曲に乗って落とせばいいのである。

第6曲:Chosen Ones
 この曲にも二つの意味が入っとるのだが、状況はまるで違う内容になっとる。糾弾しとる相手が表の意味と裏の意味で全然違う。調べてみたら、「chosen ones」とは、十字軍のことを指すようである。なぜ「選ばれた者達」というのか?十字軍の作戦は、イスラム帝国に奪われた聖地エルサレムの奪還である。その当時、ヨーロッパの者達は、当然イスラム世界のことは全く知らない。エルサレムがどこにあるのかすらハッキリ認識できてもいなかったであろう。1200年ほど前の話である。エルサレムの奪還の提唱者はその当時のローマ教皇である。で、この呼びかけに各国のキリスト教徒が反応した。教皇は当然、各国の国王に出兵の要請をした。それで、各国は十字軍なるものを結成した。その十字軍が大挙してエルサレムへ向かった。で、このとき、十字軍の兵士にとっては、当然敵の情報が皆無のようなものであり、行ったことのない土地への遠征でもある。だからこそ、兵士達は、相当な手練れと度胸の持ち主ばかりが集まったようである。それで、歌詞の前半に、勇気を見せろというような内容が出てくる。その程度では即死するぞというようなものとか。さらに、聖地を奪還する戦いだからこそ、我々は神に選ばれた者なのだと。で、十字軍は、合計8回以上編成しエルサレムへ向かったようである。私は、4回かと思っとったが、現在調べてみると8回以上となっとる。嘘くさいけど。8回も遠征軍を派遣できるほどの国力は各国にはなかったと思う。で、第1回の遠征軍は奪還に成功しとる。イスラム帝国の虚を突くかたちになったのであろう。で、遠征軍の兵士の中に赴いた先でおかしな事を始める奴がおったという歌。神に選ばれた者だと自負しながら、遠征先で婦女暴行、略奪、殺人をやったのである。殺人と書いたから、当然、民間人を殺したということである。だから、歌詞の半ばでその糾弾の話が登場する。前半では、勇気を持った聖なる者という印象だが、糾弾するところでは、その聖なる者が、略奪のために人殺しをやり、更にはここは俺たちの土地だといい始めたということである。聖地奪還の目的は、あくまでキリスト教の聖地をイスラム教の国が管理するのではなく、キリスト教徒が管理するということだったはず。だから、他人の土地を奪っていいわけがないのである。しかも、住人を殺してまで。そりゃ、イスラム教徒もキレるであろう。で、この戦いは長引いた。8回(4回?)以上派遣したわけだから泥沼ということである。で、その兵士達は神に選ばれた者だというのに、やったことは凶悪な犯罪者と同じということである。で、歌詞は、そこに焦点を当てとるから、再び自分たちは選ばれた者だという前半の歌詞が繰り返される。歌詞の流れを分かり易くまとめると、1.我々は神に選ばれた勇者であり神聖な戦いへ赴く。2.だが、遠征先で凶悪犯に豹変する。3.皮肉を込めてもう一度「我々は神に選ばれた勇者である」と歌う。この歌詞は、十字軍の中におった悪魔の話であるが、これはあくまで比喩表現であろう。そんな大昔の者たちを糾弾しとるのではなく、現在、聖なる者と称して凶悪な所業をしとる者への糾弾内容だと思う。あなたたちは、この十字軍の兵士と同じだと。ここで、誤解してほしくないのだが、「聖なる者と称して」とは、そういった地位にいるわけではないが、偽って恐ろしいことをやっとる者という意味ではない。聖なる者という地位にいながら、とんでもない凶悪なことをやっとる者のことを言っとる。第7曲の歌詞を読めばよく分かるであろう。
 今度は裏の意味である。表の意味は、確実に世界中の人たちに関係がある。なぜなら、そいつらは世界中におるから。裏の意味は、日本に関係がある。このアルバムがリリースされたのは、1980年代であるから、相当前にデイヴは日本の危機的状況を認識しとったことが分かる。実は、Big4は全員それを理解しとった。ここで歌われとる「chosen ones」とは、その発音の通り「〇鮮人」のこと。「chosen」は、発音の通りだから分かると思う。「ones」とは、その者達という意味である。「one」であれば一人を指す。だが、「ones」だから、複数を指す。表の歌詞の意味で、度胸が必要とかいうのは、〇鮮から外国(日本)へ侵入するわけだから、当然必要ということになる。それは、バレないように動かなければならないからであろう。侵入した後は、日本人のふりをして日本人を殺し、殺した者の土地を「ここは俺たちの土地だ」と言い、金品もろとも略奪をしたのである。それを歌っとる。で、略奪をして奪い取った後は、後半の歌詞にあるように善人ぶって日本人のふりをするのである。因みにげ〇にん共は、〇鮮人ばかりである。そもそも、日本人が落語とか漫才をやっとったのは、もう随分昔の話で、今はもう乗っ取られとる。だから、昔の落語を聞くと、話の落とし方にセンスを感じるが、今は狂暴な内容ばかりである。で、デイヴはそいつらの正体をこの曲でバラし糾弾した。だが、その当時、日本人でメガデスを聴いとった者はまずいない。だが、実はゼロではない。相当数の人が聴いとったのだ。知っとる人は知っとる。で、そういう人達が、奴らと闘い日本人に真実を教え続けてきた。もちろん、その人達だけではない。もっと多くの人達が我々日本人を助けてくれとる。とは言え、デイヴのアルバムに気付いてデイヴと一緒に闘った人達なのである。
 音楽について。楽想だけでなくデイヴの歌唱も、歌詞の内容を実に上手く表現しとる。曲の冒頭では、勇気を持って闘う気持ちが表れとる。気合いが入る楽想である。で、その後、恐ろしい奴らに変貌した内容を歌う直前あたりから、楽想が意味不明なものを表現しとるような楽想に変わる。ギターが目が回るような、もしくは、頭がおかしくなったような感じを表現しとると思う。で、そのすぐ後に糾弾する内容が歌われる。一方で、勇ましい楽想も聴こえる。この曲も当然、そいつらを攻撃するために作られたのである。誰が攻撃するのか?当然、日本人である。日本人がこの曲を聴くときは、勇ましい部分を自分の力に変えて聴くのだ。それで、前述の変な楽想のところは敵に聴かせる。というように思って聴いてほしいし、聴かせてほしい。もう一度書く。日本人がこの曲を聴くときは、この曲の勇ましい部分に乗って敵をやっつける感じで聴けばいいのである。この曲は、乗っていける。

デイヴ

第7曲:Looking Down the Cross
 この曲も裏の意味がある。まずは表の意味から。冒頭の歌詞で「my blessed life」とある。私の人生、即ち歌の主人公の人生という意味。で、「blessed」とは何か?普通、日本人は意味を知らない。なぜなら、この表現は、キリスト教に由来する英語表現だから。このblessedとは、神の息吹きという意味である。過去分詞になっとるから、神に息吹きを吹きかけられたとなる。どういう意味かというと、キリスト教の聖職者のことをを指す。因みに英語で、「God bless you」というと、「神の力があなたに届きますように」となる。で、この表現は、病気を患っとる人に対して使う。さらに分かり易く訳すと、「神のご加護があなたにありますように」となる。日本語で言うと、「お大事に」ということらしい。だが、日本語の「お大事に」の意味より、「God bless you」の方が随分相手のことを思っとるように思える。だが、「Oh my god」のような言葉も英語にはある。で、風邪をひいた人に「神のご加護」は大袈裟と言えば大袈裟である。だから、ただのそういう表現だと思う。本題に戻る。歌詞で「彼らは私と私の祝福された人生を連れていく」とある。分かり易く訳すと、「彼らは私を連行して、私を殺すだろう」となる。しかも、逃げられないともある。この冒頭の歌詞の次に殺される理由が歌われる。なぜ逃げられないかも分かる。キリストの言葉と称し、腐敗と悪逆の限りを尽くした内容が歌われる。そして、その告発の後にその者の運命が歌われる。即ち断罪されるわけである。そして、その者の卑劣の行為でも特に信者を騙した内容が最後に繰り返される。主であるキリストを見下し、信者に対して「悪とは何かを教えない」。子供の頃から不思議だったのは、キリスト教では、懺悔をするよう聖職者に言われるのである。で、懺悔をした後、聖職者は「祈りなさい。そうすれば、神は許してくれます。」と言う。違うだろ。聖職者の役目は、償いをするように言うことである。そうすることで救われていくと。では、なぜ懺悔をさせるのか?助けるためとは思えない。弱みでも握るつもりなのでは?と勘ぐってしまう。もし、被害者がいたら、被害者は加害者に「神が許してくれた」と言われたとき、なんだそれ!となるであろう。そりゃそうである。被害者が許して初めて許されるのである。一方、被害者は神に奴に天の裁きをと願うであろう。というわけで、聖職者の中にとんでもない奴がいて、その立場の者が悪逆の限りを尽くしたら、絶対逃げられないし、強烈な断罪がくるという歌である。
 次は裏の意味。このアルバム、実は一貫して同じ者たちを糾弾しとる。この曲のタイトルにある「Looking Down the Cross」とは、神を見下しとるという意味である。即ち神を冒涜しとるということ。簡単に言うとそうだが、神を冒涜するとは、その対象を神と信じとる人がいるということである。神を信じとる人がいると言っても分かりにくいだろうから、こう書いた。ある対象を神だと信じるということは、その対象は、その人にとっては、絶対の存在であり、言われたことをそのまま受け入れられるということである。だから、自分にとって、一番大切な存在なのである。家族とかそういうレベルの話ではない。また、下手をすると、自分より大切と思う人がいるかもしれない。それほど尊い存在なのである。で、その神を冒涜するとは、その信者の気持ちを徹底的に踏みにじる行為なのである。踏みにじる程度ではないから、徹底的にと書いた。それぐらい酷い行為である。で、糾弾されとる者たちは何をやったのか?キリストに扮した者を登場させ、その者に信者のふりをした者がたわいもない何かについて許してくださいと言わせる。それで、キリストに扮した者は腕でバッテンマークをし、罰を与えるという内容。実は、この内容には裏があり、普通の者が知らないところで、被害者となった者にキリストに扮した者に許しを請わせる。そして、やつらは歌詞にあるような行為をしたということである。男、女、子供、誰もがやられたとある。そいつらがやった行為が恐ろしくて具体的に書けない。で、曲の最後に「俺はキリスト以上だぞ。悪口言うな。」を繰り返す。こういうことを言っていたのであろう。言いそう。
 音楽について。その時が来たとういうような印象で曲が始まる。そして、その時は刻一刻と近付き、断罪が始まる。こういう曲の始まり方を誰ができるであろうか。しかも、このアルバム1枚目のアルバムである。大昔、大作曲家だったとしても、その時の記憶が消えてしまっとるわけだから関係ない。このアルバム、聴けば聴くほど凄さが分かる。凄い曲ばかりである。イイ曲と言いたいところだが、軽く聴ける曲ではない。断罪される者の恐ろしくなっとる状況を説明しとるのだが、その恐怖のどん底へ叩き落す歌詞と音楽の楽想が完璧に合致しとる。その後、楽想がガラッと変わる。今度は、この歌で断罪される者にこの後の辛さとその者が誰なのかが歌われる。楽想もガラッと変わる。この後の辛さを歌う「あんたこの後どうするつもり?生きるのも地獄だろうけど、死ぬのも地獄だと思うよ」という感じの内容に合わせて楽想は、少し軽くなる。その後、再び危険な状況に歌詞を持っていく。すると、楽想もそれに合わせてどんどん恐ろしさが増していく。次の歌詞の前にギターソロが入るのだが、このギターソロが、断罪する側が聴くとカッコよく聴こえる。だが、断罪される側は、たぶん、相当気持ち悪さが増していくと思う。次の歌詞では、その者が過去にとった行動が歌われる。ここでは、そいつの行動を吐き捨てるような感じと怒りの籠った感情が入り乱れて歌われる。楽想からは切羽詰まった感が感じ取れる。次の歌詞で具体的に何をしたのかと怒りの感情が歌われる。だから、罪人の残酷な行動を落ち着きながらも怒りに満ちた表情で歌われ、音楽も一瞬で罪人に重く圧し掛かる楽想に変化する。ここまでで、罪人に対する怒りの言葉が歌われ、この後の歌詞で、今後その罪人に対してどのように落ちていくのかが歌われる。言うなれば、判決文を読み上げとるようなものである。音楽もクライマックスを迎える。やっつける側は確実に気合いが入る楽想である。罪人側は、更に恐怖心が増すであろう。この終結部の後、徹底的に断罪しとることが分かる。決して容赦はしない。ギターソロが再びは入る。ここでは、罪人が真っ逆さまに落ちていく様が感じ取れる。ソロの後、どんどん落ちていく楽想になり、「キリストを見下し、悪について決して話さなかった」という文句を繰り返す。自分自身が悪であるからこそ、誰に対しても悪の手口を話すことはなかったということであろう。
 冷静に分析させていただくと、最初から最後まで、話に沿って緻密に音楽が構成されとる。歌詞の内容は感情を歌うだけではなく、罪人という相手がおり、その罪人が断罪され始める状況から、罪状を読み上げ、更に断罪する側の怒りの感情も入っとる。更に判決を言い渡し、落としていく。これを1曲の中でやっとるのである。1曲の中で歌う話の長さとしては、相当長い。だが、曲は5分弱で終わる。音楽も様々に変化に富んどる。その変化について、聴けば聴くほど凄さに気付くであろう。歌唱も様々に変化する。こんなに表情豊かに歌える人はまずいない。凄い曲である。

第8曲:Mechanix
 この曲のタイトル、「メカニックス」とは機械的という意味である。即ち、機械のような奴のことを歌っとる。で、機械のような奴とは、血が通っていない冷徹な奴のことである。人では決してできないことをやった者を断罪する曲である。で、この曲の内容には、表も裏もない。意味は一つ。明らかに日本にいる悪魔のことを歌っとる。歌詞の内容を紐解いていく。まず、初めに、そいつの口癖が登場する。「想像してみ。おまえは俺のステーションにおんねん。」「そして、お前は、モーターを持って来たわけや。それで、お前は燃え盛る炎や。要は本物のモーターカーやねん」ここの歌詞は、その冷徹な奴が女性を口説く際に言う言葉である。続いて、そいつの部屋での会話に切り替わる。「お前言ったやろ。やりたいって。」それで、行為の後の会話になる。「入れたら、ゾクゾクした。」続いて文句が入る。「腰振るだけじゃダメやねんて。分かるやろ。お前はラッキーやな。」相手の女性にダメ出しをしとるにである。相手に対してラッキーやなと言うのは、やり方を教えるからということ。続いて「誰がお前の方が俺より上手いと思うねん?」「俺はずーっと教え来てんねん。」「言う通りにやってくれ」「俺のドライブシャフトをクランクさせ、立たせんねん。そして、玉も溶とろけるぐらい気持ちよくすんねん。」「おう、ええやないかい」そして、間奏が入り、次の機会の内容になる。服を脱いで、今度は激しいことをやり始めた。とくる。「今夜は四つん這いになれ」恐ろしい内容になってくる。我々が上から下までhitしたら、お前は気付くのに遅すぎたと思うだろう。ここは、想像してください。要は酷いことをされた結果、気付くのが遅かったという意味。続く歌詞で、前述の内容が繰り返し歌われる。「お前がしたいって言ったんやで。入れたらゾクゾクする。腰振るだけではあかんねん。分かるやろ。お前はラッキーやな。」続いて「誰がお前の方が俺より上手いと思うねん?」「俺はずーっとやって来てんねん。」「言う通りにやってくれ」「俺のドライブシャフトをクランクさせ、立たせんねん。そして、玉も溶とろけるぐらい気持ちよくすんねん。」「おう、ええやないかい」再び間奏が入り、今度もとんでもなく恐ろしいことを言い出す。「俺はお前にルームサービスを提供してる。もう十分やろ。」「もう知っとるやろ。俺は今恋してんねん。」即ち、これはこいつの別れ文句である。上述のことをやらせておいて、ルームサービスをしてやったと言う。更に、浮気をわざわざ見せつけて、「俺は今恋をしてる」と言う。そして、無理矢理分かれるわけである。そして、次の女性にも同じことを言い、同じことをする。それで、歌詞の最後にデイヴは、奴の特徴である息を吸いながら言葉を出す真似をする。ここまで書けば誰のことかは分かると思う。で、そいつはこういうことを繰り返しやったということである。
 音楽について。最初、この曲の歌詞を訳しとるとき、糾弾しとるのだが、前の7曲ほど恐ろしい内容ではないと勘違いをした。なぜ勘違いに気付けたかというと、楽想が冒頭から明らかに恐ろしいのである。だから、歌詞の内容は男女間の普通のセ〇クスではないと思い、何度も読み返した。それで、本当の意味に辿り着けた。楽想は、冒頭は悪魔がやって来るような印象を受けさえする。その後、すぐにテンポが高速になり、最後まで一気に進む。ギターソロも超高速である。これは、そいつがこのような所業を次々にやりまくったことを意味しとる。当然、この曲は、そいつやそいう奴を糾弾する曲である。だから、糾弾する側は、この曲に乗って聴けばいいのである。内容が分かると曲に乗れないという人がいる。その気持ちは分かる。だが、糾弾する側の人なのだから、この曲に乗ってやればいいのである。
 終曲で、このアルバムで糾弾されとる者が何者なのかが分かる。だから、このアルバムは日本人向けのアルバムだったのである。1曲目から終曲まで同じ奴の所業を歌っとったわけである。改めて考えると、ホントに恐ろしい奴である。

 最後に一言。このアルバムはデイヴの最初のアルバムである。信じられなぐらいの完成度である。歌詞の内容に合わせて目まぐるしく変わる楽想。しかも、その楽想は糾弾する側が聴くと気合いが入り、糾弾される側が聴くと恐ろしくなるのである。そして、1曲の歌詞の中に様々な情報が含まれとる。凄いとしか言いようがない。私は最初、1枚目のアルバムだから完成度は後のアルバムほどではないと思っとった。というのも、音自体が後に発売されたアルバムの音と比較して随分簡素に聴こえたから。即ちミキシングが不慣れだったか、何者かが改悪したかということであろう。私は後者の気がしてならない。アンスラックスも1枚目や2枚目のアルバムで酷いことをされとる。とは言え、凄さに気付けてホント嬉しかった。


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