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Robert Schumann
シューマン

曲目解説&名盤紹介

交響曲第1番変ロ長調「春」

曲目解説
 2か月という恐ろしいスピードで書き上げられた交響曲。だが、内容は充実している。初演時から好評を博している。シューマン最愛の女性クララ・ヴィークと結婚した翌年に作曲されている。そのことを考えて聴くと、この交響曲へのシューマンの意気込みが随所で感じ取れる。まさしく心の「春」である。

 第1楽章、とてつもなく明るいファンファーレで始まる。春の息吹どころではない。日本でいうなら、桜が千本勇壮に満開を誇っているような感じである。これが序奏なのだから、本編への期待が大きく膨らむ。弦が緩やかに本編に進行し、その後、勢いが増し速度を上げる。明るいが重厚感もある。ワクワク感も満ちている。言うなれば、これから期待を胸に新しい船出に出発するような感覚である。シューマン夫妻の船出としか思えない。

 第2楽章は、緩徐楽章。この穏やかな雰囲気は、暖かくなった「春」のいわゆる小春日和というやつである。見事に表現している。シューマン夫妻が穏やかに歓談、もしくは公園で木々や花々を見ながら散歩しているようである。二人の甘い生活とも思える。

 第3楽章スケルツォでも、「春」である。シューマンの時代までは、通常、スケルツォは軽快に進行する曲が多い(ベートーヴェンは別)。だが、シューマンは、軽快さに苦難と力強さを加えている。この力強さは、シューマンの最愛の妻クララへの固く誓った愛、即ちどんな苦難にも負けまいとする意気込みが表現されている気がする。本当にそう聴こえる。



 第4楽章フィナーレでも、力強さがそこかしこに聴こえる。どう聴いても、高らかに「春」の歌を謳歌している。最初、私は、この交響曲は、冬が過ぎて待ちに待った「春」の到来を表現していると思っていたが、そうではない。シューマンの心の「春」を謳歌している時期に作曲されたから、はち切れんばかりのシューマンの幸福感がこれでもかと表出している。だから、素晴らしく明るく、はつらつとして、気合いが入っている。特にこの最終楽章では、シューマンのクララへの終生変わらぬ愛の決意表明なのではと私には思える。本当に素晴らしい交響曲である。

名盤紹介
シューリヒト/シュトゥットガルト放送交響楽団 お薦め度:S

シューリヒト/SRSO

シューリヒト

指揮:カール.シューリヒト
管弦楽:シュトゥットガルト放送交響楽団

 このCD、サヴァリッシュがドレスデンを指揮したとなっとるが、実は違う。この録音自体相当前に収録されたものである。そもそも、サヴァリッシュという指揮者は、1980年代にN響を指揮しとった指揮者で、ヨーロッパやアメリカではさほど人気のない指揮者であった。そもそも、名前すらほとんど知られてなかったと思う。実際、その当時、サヴァリッシュ指揮のレコード自体全く売ってなかった。そんな無名の指揮者が、冷戦時代の東側のオーケストラで名門のドレスデンを指揮し、さらにシューマンの交響曲全集を完成させるなど絶対ありえない。旧西側諸国には、数多のオーケストラが存在しとるが、どのオーケストラともずーっとレコーディングをしてなかった。そりゃそうである。CDを発売するレーベルも売れる見込みが立たない指揮者にCD発売の話などしない。また、ボロボロになったフィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者を任されたというのだが、それも怪しい。アメリカのオーケストラは、ドイツ人指揮者を好まない傾向がある。アメリカ人はドイツ人のことを今でも信用していない節がある。だから、ドイツ人でもって、有名でもないサヴァリッシュがアメリカの5大オーケストラの一つを任されるとは考えにくい。しかも、サヴァリッシュがフィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者をやったということは、当人が死亡してから知った。実は私はフィラデルフィア管弦楽団のファンである。だから、全然知らなかったというのが、凄い怪しいのである。というか、まず間違いなく捏造である。で、調べた結果、驚愕の事実が出てきた。このCDで指揮したのは、なんと!あのシューリヒトだったのである。確かにシューリヒトらしい解釈である。また、オーケストラもドレスデンではなく、シュトゥットガルト放送交響楽団であった。物凄い綺麗な音色を出す。その当時、カラヤンはドイツ全土のオーケストラを一人でサポートするのは、困難であった。だが、ドイツのオーケストラの育成に力を注いだ。で、ドイツの南部地域のオーケストラのことをシューリヒトに頼んだというのだ。なるほどである。凄い実力の持ち主だからこそ頼まれたと確信する。

 演奏について。明るく爽やかでフレッシュな印象を受ける。この曲では、シューマンのクララへの愛、もしくはシューマン夫妻の愛が語られるのだが、これほど爽やかにシューマンの「春」を表現できる指揮者はいない。軽すぎず重すぎず、音に広がりを持たせ、気持ちよく曲が進行していく。聴いていて本当に気持ちがいい。「春」を謳歌というより、ウキウキ感を強く感じる演奏。

シューリヒト

 シューマンの交響曲は、オーケストレーションに難ありと言われる。中にはシューマンが後年精神疾患を患ってしまったということで、無理やりそのような表現をする指揮者もいたようだ。シューマンが精神疾患を患っとったというのは、私にはどうにも疑わしく聴こえる。ベートーヴェンらと同様に悪魔のような奴等とシューマン夫妻やブラームスは格闘しとった。だから、敵が集団でシューマンの周りに付きまとい執拗に攻撃を仕向けた。その結果、ライン川に飛び降りなければならないような状況に陥ってしまった。だが、なぜか実にタイミングよく助ける人が船ですーっと来てシューマンを助け上げて去っていった。確実にシューマンの味方は大勢おった。だからこそ、シューマンが精神疾患を患う理由がないのだ。だが、精神病院に入院したと言われとる。でも、実はその入院させられた男、シューマンではなかった。敵はシューマンが怖いから何としてもそういう場所に入れたかったのだ。そして、そこでシューマンを亡き者にする予定だった。だが、シューマンは、味方の助けにより、その難を逃れることができた。即ち、似たような顔をした者と入れ替わったのである。当然、似たような顔立ちの敵を引っ掛けてシューマン自身ということにしたのである。話を戻すが、シューリヒトはシューマンが精神疾患を患っとったと考えとったとは到底思えない。演奏の内容は実に晴れ晴れとしていて、シューマンの心の「春」を表現している。新婚夫妻なのだから当然、フレッシュさが溢れていたのであろう。演奏はそんな風に進行する。素晴らしい演奏である。
お薦め度:S
(April.27.2020)
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